明徳義塾監督「馬淵史郎」は高校球史に残る最低采配?優勝して軽蔑された男?


明徳義塾監督「馬淵史郎」は高校球史に残る最低采配?優勝して軽蔑された男?


思い出すな。こういうことがあった。明徳義塾が糞チームに成り下がった瞬間だ。誰ひとり祝福する人はいなかった。インチキ優勝だから?。明徳のフェアプレーって高校生らしくない計算づく。監督の名前は忘れたが、名前を覚える価値のない監督に違いない。子子孫孫の高校球児から軽蔑を受けるだろう。あんな試合を誰が望むものか。

無理やり四球させられた明徳のピッチャーは結局野球で燃焼できず今なおプレーを続けているらしい。彼自身が恨みの敬遠を引きずって墓場まで行くことになる。それを命じた監督の罪の重さを思い知る。



http://www.meitoku-gijuku.ed.jp/index.html

驚いたね。明徳は一大産業だ。金儲け第一主義みたいな印象。例の監督の振る舞いと重なる風土病みたいなものが明徳にはありそうだ。




明徳義塾監督「馬淵史郎」は高校球史に残る最低采配?優勝して軽蔑された男?


馬淵 史郎(まぶち しろう、1955年11月28日 - ):これつが歴史的愚行を強要した監督の名前だ。

法さえ犯さなければ何をやってもいいとする男はいまなら脱法ハーブを平気で口にして試合をやるかもしれん。野球人としての倫理観が全くない。

高知が集中豪雨で被災しても、この男を思い出すと複雑な気持ちになる。野球の神様は夏になると大涙を高知に降り注ぐのだろう。人の道から外れれば報いは来るもの?。

松井秀喜に対してというより、高校野球フアンへの謝罪はまだ口にしていない。いや、チームメンバーへの謝罪はどうなんだろう?。野球人の倫理観にまったく欠けた男に見えてくる。監督をやる人間ではない。子供を引きずり込まないで一人でやるべきだろう。

監督がその調子だから不祥事が後を絶たない?。本当?。



子供たちの夏は人生に一度きりなんだ。 それを自己満足のための策に使った罪に今なお気づいていないようだ。彼はルール違反をしていないだけで高校球児に与えた悲しみを思えばルール違反より罪なことだ。

あの優勝で引退すべきだった。ながなが続けたことは少年たちを弄んだようなものだ。心の罪は軽くない。

夏の高校球児を見るたびに思い出される残念なシーン。

「負けたっていいじゃないか。思い切りやったと自分にいうことができれば。」



ネットを見たらこの人はすごい実績を上げている。業界?では尊敬もされているようだ。どこのチームの監督も彼を師と思っているくらい凄い人だ。野球人には神様みたいなのに、素人からすると最低の監督に見える。どういうギャップだろう?。どこかで何かがずれを起こしている。

野球は誰のためにやるか?

答えを出すための問いかけだ。それにどう答えるかでギャップの原因が分かる。野球は見せるためにあるいは見るためにあるのだ。この答えには驚くだろうが真実だ。みんなが見るから甲子園の歴史が残るのだ。見せる(魅せる)野球こそ野球の本質だ。見る人の一人は選手自身だ。何を見せるか、何で魅せるか、それが醍醐味だろう。

花(華)のない野球をやったら勝とうが負けようが、駄目試合だ。

劇的に勝つのだ。

この監督は詰まらない試合を演出した。






何のために?誰のために?の答えはそれぞれ違うだろう。その時々でも、振り返ったりしても変わるものだ。まさに生き方そのものだから。

プロ野球の落合監督も、川上監督もつまらない采配を続けてきた。彼らは数字は手に入れたが、日本の野球をエキサイティングのない詰まらないものに変えた責任は重い。

他者を意識する価値観と他者を意識しない価値観を並べること自体に意味がないのかもしれない。

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