プライムタイムとラストディケード
ラーストディケード(Mission of Life in The Last Decade)
どこかで書いたかな。
余命の長さがその人の行い(趣味、休憩、仕事、学習、交流、片付、・・・)を決める。
ラーストディケードは余命が10年と腹をくくった時に人は(自分は?)何をするか。ウォントでもマストでもベターでも構わない。何を諦めるかという視点でもいい。
そうすると、どうしてラーストディケードまで放っておいたか後悔を始めるに違いない。
未練たらしく、ラースト2ディケードで発想を現実に戻す。
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ラストディケード vs. 人生の折り返し点
最期の10年。人はいつそれを意識するのかな。気力と体力の衰えを自然と自覚する時が来る。遺産の整理、記念旅行、相続とか、遺言とか、断捨離とか、自分のお墓、連れ合いの健康、なんとなく別次元の発想をするころは、ラストディケードに足を踏み入れたかも知れない。人生の達人なら、常に今がその日と覚悟して凄んすんだろうね。でも疲れそうだ。
人生の折り返しても明確でない。返金寿命で決めるのは保険屋さんの発想。自分の人生の折り返しては、やはり誰にも分からない。それでも無理やり決めるのが人生なんだろう。結局は平均値で考えるしかないだろう。
人生の折り返し点は、信長の時代なら25歳。
不惑(40歳)という年齢は、概念的にはラストディケードに近いね。寿命は50歳。折り返し点は25歳。この辺は一貫性があるね。
定年が50歳の時代は、寿命は60歳から70歳かな。で、折り返しは30歳かな。定年が60歳に伸びたら、折り返しは35歳か?。
寿命が80歳に伸びた後期高齢者の時代は40歳が折り返し。この人たちに40歳で不惑と言っても無理がありそうだ。まだまだ迷う中盤戦。サラリーマンの不惑は定年の時と思えば感覚的にはぴったり来そうだ。
これから新しい年号で生まれてくる人たちは折り返しは50歳。定年は75歳か。定年と言う概念もなくなっているかも知れない。
テレビに出ていた人が姿を見せなくなって、ある日その人の訃報が流れる。多くは闘病。趣味的世界に入る人も。彼らのラーストディケードだ。
身体も頭もまだ動いて、資産の蓄積も若干残って、時間拘束のない定年後・リタイア後 の最初の10年はゴールデンディケード=人生のプライムタイムともいわれる。
それなのに、凡凡と生きているだけ。早々に死ぬことばかり考えている。そんなのは駄目だろう。
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この方がポジティブだね。中身は兎も角として、気分は違う。
世間には定年を控えた社員にセミナーを開いているところもある。自分で行く人は少ないが、これからは増えるだろう。企業の社員向け教育に取り入れているところもある。まあ只の世間話か。
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LASTDECADE
ラストディケード:逃れられない現実
最期の10年間の生き方ぐらい自分の思ったように生きてみたい。
きっと誰もが思っているだろうが、人生は常にままならぬもの。
自分の思ったようにと言ってもそれもよく分からないのが現実。
昨日までと同じ道も今日も歩むだけ。と格好つけてみても、只の意気地なしかもしれない。
不惑など一度もなかった人生。
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