プライムタイムとラストディケード

+


プライムタイムとラストディケード


ラーストディケード(Mission of Life  in The Last Decade)

どこかで書いたかな。

余命の長さがその人の行い(趣味、休憩、仕事、学習、交流、片付、・・・)を決める。

ラーストディケードは余命が10年と腹をくくった時に人は(自分は?)何をするか。ウォントでもマストでもベターでも構わない。何を諦めるかという視点でもいい。

そうすると、どうしてラーストディケードまで放っておいたか後悔を始めるに違いない。

未練たらしく、ラースト2ディケードで発想を現実に戻す。

*

ラストディケード vs. 人生の折り返し点

最期の10年。人はいつそれを意識するのかな。気力と体力の衰えを自然と自覚する時が来る。遺産の整理、記念旅行、相続とか、遺言とか、断捨離とか、自分のお墓、連れ合いの健康、なんとなく別次元の発想をするころは、ラストディケードに足を踏み入れたかも知れない。人生の達人なら、常に今がその日と覚悟して凄んすんだろうね。でも疲れそうだ。

人生の折り返しても明確でない。返金寿命で決めるのは保険屋さんの発想。自分の人生の折り返しては、やはり誰にも分からない。それでも無理やり決めるのが人生なんだろう。結局は平均値で考えるしかないだろう。

人生の折り返し点は、信長の時代なら25歳。

不惑(40歳)という年齢は、概念的にはラストディケードに近いね。寿命は50歳。折り返し点は25歳。この辺は一貫性があるね。

定年が50歳の時代は、寿命は60歳から70歳かな。で、折り返しは30歳かな。定年が60歳に伸びたら、折り返しは35歳か?。

寿命が80歳に伸びた後期高齢者の時代は40歳が折り返し。この人たちに40歳で不惑と言っても無理がありそうだ。まだまだ迷う中盤戦。サラリーマンの不惑は定年の時と思えば感覚的にはぴったり来そうだ。

これから新しい年号で生まれてくる人たちは折り返しは50歳。定年は75歳か。定年と言う概念もなくなっているかも知れない。

テレビに出ていた人が姿を見せなくなって、ある日その人の訃報が流れる。多くは闘病。趣味的世界に入る人も。彼らのラーストディケードだ。

身体も頭もまだ動いて、資産の蓄積も若干残って、時間拘束のない定年後・リタイア後 の最初の10年はゴールデンディケード=人生のプライムタイムともいわれる。

それなのに、凡凡と生きているだけ。早々に死ぬことばかり考えている。そんなのは駄目だろう。

*

+

 この方がポジティブだね。中身は兎も角として、気分は違う。

世間には定年を控えた社員にセミナーを開いているところもある。自分で行く人は少ないが、これからは増えるだろう。企業の社員向け教育に取り入れているところもある。まあ只の世間話か。

*

LASTDECADE

ラストディケード:逃れられない現実

最期の10年間の生き方ぐらい自分の思ったように生きてみたい。

きっと誰もが思っているだろうが、人生は常にままならぬもの。

自分の思ったようにと言ってもそれもよく分からないのが現実。

昨日までと同じ道も今日も歩むだけ。と格好つけてみても、只の意気地なしかもしれない。

不惑など一度もなかった人生。 

*

人気の投稿:月間

人気の投稿:年間

AWS コンピュータービジョン開発の教科書 (Compass) Kindle版

AWS コンピュータービジョン開発の教科書 (Compass) Kindle版
Lauren Mullennex (著), Nate Bachmeier (著), Jay Rao (著)

人気の投稿

Vision

Vision
Vision Kindle版 ハンス・P・バッハー (著), サナタン・スルヤヴァンシ (著)
ご注意:当サイトの記事は基本的に備忘録の類です。不適切な表現、誤った内容を含むことがあります。無断リンク・転載などはご遠慮ください。