なぜ「鳥越俊太郎」では駄目なのか?舛添不正を容認!?

2016年07月20日
なぜ「鳥越俊太郎」では駄目なのか?舛添不正を容認!?

鳥越俊太郎



鳥越俊太郎は舛添要一を召喚できない。
鳥越俊太郎は都議会の不正を追及できない。民進が障害になる。野党統一候補の矛盾が出てくる。
鳥越俊太郎は健康に不安が残る。
鳥越俊太郎は自民党とぶつかり過ぎて行政がスムーズにいかない懸念が残る。露骨なやり口は逆に徹底糾弾を受ける。国政の問題がそのまま都政に影を落とすのは、しかし、必ずしも悪いことではない。都民の声を代弁している限りは個性の批判はむしろ好ましい。



選挙演説で不安を払拭させてくれなければ本当に駄目と思ってしまうだろう。政策の中身はない。野党共闘の妥協の産物が提示されるだけだろう。



(追記)

7月19日お昼のフジテレビ番組で3候補が顔を揃えた。7月20日には大橋巨泉の訃報が報じられていた。先日は永六輔の訃報。 高齢の鳥越は4度の手術を乗り切ったときくが大変だったろうと思う。健全なジャーナリストとして頑張ってほしい人だ。でも都知事は駄目だろう。都民だけでなく国民にも迷惑を掛ける。皆が心配しながら見守ることを要求するのだろうか。自分が元気と自覚するならそれでいいのだろうか。済まないと言って謝罪されても困る。
ジャーナリストは相撲で言えば相撲取りで無く行事の立場。行いの是非をそれこそ第三者の目で厳しく批判するのが仕事。それが回しを付けてのこのこと土俵に上がってしまった格好だ。今の日本人相撲取りは不甲斐ないと怒って式守伊之助が回しを付けて出てきたら大笑いだ。それが今の鳥越の姿だ。他人を客観視できても自分を客観視できない。
病み上がりと一言言われて切れているようではとても無理だろう。実際に病み上がりを強く意識するから過敏に反応するしマラソンするし裸になるし。健康を一番心配しているのは自分自身ではないか。
ジャーナリストから立派な政治家に化けてもいい。でもそれってギャンブルでしょう。国政の壁、都議会との矛盾するポジション。都議会を批判すれば結局民進も攻撃することになる不協和音。妥協すれば都民からブーイング。増田以上に簡単に立ち往生する。過剰ストレスでドクターストップも入るだろう。最初から無理なんだ。無謀。鳥越が自分を外から見ればその言葉しかない筈だ。

ピエロかドンキホーテにしか見えない。

狡猾な爺に見えることもある。自分が弱者、被害者だから正義は自分にあるような。しかし鳥越自身は恵まれた生まれ育ちで本当の弱者の環境は経験していないのではないか。ジャーナリストは不都合があれば黙れば済む、隠れれば話題は変わる。しかし、都知事は24時間都知事でいることが要求される。黙ることも隠れることもできない。竹槍で巨大風車に突進する鳥越の姿は笑うことさえできない。

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