クラウドファンディングで中学校にツリーハウス?課外授業と社会的責任
こういう批判的なタイトルは好ましくない。誰一人として無責任なんて思っていない。若者らしい奔放な発想で取り組む興味深いプロジェクトだ。若者に限らず何か新しい取り組みを始めると必ず水をさす連中が現れる。志があれば怯むことは無い。勇気をもって前向きに取り組めばよいことだ。
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ローカルニュースで流れていた若者の前代未聞のチャレンジ。新しいチャレンジは結果が想像できないから、無謀あるいは無責任に見えることもある。
ニュースビデオでは飯島(村?)の沢井淳教育長の顔も映されていた。応援メッセージ?のようなものを口にしていた。教育長と言えば、全国で虐め問題・虐待問題で無責任対応が後を絶たないだけに、この人もどれだけの思慮を踏まえているのか疑問。教育長と言う立場が持つ責任の大きさを自分自身が理解していないのではないか懸念される。
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図書館横の欅の木にツリーハウスだって?そこで南アルプスを眺めながら読書だって?。ちょっとした思い付きの空想は楽しいが、現実となると楽しいだけでは済まされない。私有地で空想したものにチャレンジするのは勝手だが、公共の施設エリア内でやるのは、お金以前に、承認・権限・役割・責任・管理・運用・廃止・手順・公共性などの面倒くさい問題に対して答えを用意しなければいけない。
例えば;
- 枝を切ってしまうこと。普通の剪定は樹木の命のために剪定するが、この場合は樹木を痛めつける行為だ。植物相手なら虐待が許されると思っているのか?。大事に育ててきた樹木ではなかったのか?。
- 此の木を植えた人(先輩?)・見守ってきた人の思いを無視していないか?。理解を貰ったのか?。
- 樹木を枯らしたらどのように償うのか?。
- 図書館環境の一環を破壊しようとしている。エコロジーだけでなく、景観も不細工にならないか?。
- ライフサイクルの発想がない。子供の無責任で済ます訳にはいかない。誰が最後まで面倒見るの?。今チャレンジを楽しんでいる子供たちはアイデアを形にして満足できるだろうが卒業してハイお終い!で済ませるのだろうか?、後を引き継いで誰が責任ある役割を担うのか?。先輩の身勝手の後始末を後輩にやらせるのか?。
- 台風、大雨、大風、大雪に耐えるものを作るのか?。樹木に沿って鉄塔でも立てるのかな。樹木の根も痛めつけるのかな。これじゃちっとも自然じゃないね。
- 安全に作るとツリーハウスのコンセプトが壊れるが、危険な作りにすると事故などの発生時の責任問題が出る。落下時の打ち所が悪いと死亡事故になることも。全て教育長の責任で良いのかな?。 命に対する責任を取ることが出来る訳がない。
- メンテナンスは誰がやるのかな?。その費用はだれが負担するのかな?。管理責任者じゃだれですか?。
- 担任(竹内大輔:飯島中学校1年1組教諭)は唯一の大人としてどういう接し方をしているのだろうか?。自分自身がチャレンジャー?自主性尊重?迎合的?無責任?。ホームページを見ても大人なら気になることへの考え方が何も記載されていない。担任のポジションが分かりにくい。応援メッセージへの対応も一手に引き受けている。これって残業?。確かに担任の立ち位置、役割責任は難しいな。
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信州などと言う自然に恵まれたところにいて詰まらないことを「夢」に描いたものだと思う。図書館の上に「夕日の塔」を建ててそこでアルプス越しの読書を楽しむぐらいの発想の方が余程楽しい。お金はもっと掛かるだろうが。
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既に200万円近い資金が集まっている。社会に還元するものは何だろうかと思う。安易に資金集めが出来ることだけが経験になるかもしれない。世間を舐めることにならないか。担任はメンタルの後始末も必要になるが、この担任では期待できない。
善意に付け込む詐欺商法にも似たような側面がある。社歌契約上の現実をどれだけ理解しているか。もしくはどのような扱いを受けるか興味深い。
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http://www.nagano-np.co.jp/articles/43432
ツリーハウスをCFで 飯島中1年1組が挑戦
地域 2019年1月22日 6時00分
生徒がデザインしたツリーハウスの構想図
飯島町飯島中学校1年1組の27人が、インターネットで幅広く支援を募る「クラウドファンディング(CF)」を活用して、町図書館の隣接地に幼い子どもたちが集うツリーハウスを建設しようと取り組んでいる。今月18日から募集を開始し、2月末までに195万円の目標達成を目指す。生徒たちにとっては大きな挑戦だが「地域の未来のために協力してほしい」と呼び掛けている。
総合的な学習の一環で、「普段できないことに挑戦してみよう」と意見を出し合った同学級。さまざまなアイデアの中でツリーハウスが提案されると、「おもしろそう」と意気投合して取り組みを進めることになった。
町と協議する中で、多くの親子が集まる町図書館の横が建設地として提案された。活用法を探るうちに自然と「古里のためになるものを」と考えるようになり、どんな変化が起きるのかも検討。次代を担う子どもたちの思い出の場所として記憶に残り、まちづくりのバトンをつなぐ存在になればと夢を広げた。
わくわくしながら、好きな本を思いっきり声を出して読むことができる子どもたちの空間にしようとアイデアも固まり、デッキを備えた2メートル四方のハウスを計画。安全面や耐久性などから建設の主体は専門業者に依頼するのが適切と考え、CFで資金調達することにした。
現在生徒たちは四つの班に分かれて、CFに協力してもらえるよう広報活動を展開。今までは家族や親類など身内が中心だったが、今後は町内でのPRも予定する。写真班の宮下裕斗さんは「多くの人に広まるようにしたい」と目標達成に意欲を燃やす。
CFの活用を生徒たちに提案した担任の竹内大輔教諭(32)は「子どもたちは目標を達成したいと強い思いを持つようになった。大人と対等な挑戦ができる自分たちの力の大きさも実感できるはず。生徒たちのがんばりを多くの人に見てもらい、共感してもらえれば」と話す。
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色々な批判を受けてそれに向かい合うことでまた子供らは成長していくと考えれば大枠では立派な取り組みだ。着地も大事。子供のときのことだからで何処かで退場して済ますことは、クラウドファンディングでは難しい。既に世間に出ているのだから責任はついて回る。その覚悟を担任は自分で理解していないといけない。
学校から外へ飛び出す経験は貴重で誰にも異論はない。が、社会と接する時の暗黙の契約~責任問題はスキップできない。担任教師が一人で背負いこんでも構わないが、いざとなったら逃げ回って有耶無耶にしてもらっては困る。
ファンディングは寄付でなく投資なら契約行為。200万円の管理はどのように行うか。うっかりすると授業どころではなくなる。ぼ~っとしていると、担任は休日返上に追い込まれる。
色々な意味で全国から注目されるだろう。
ツリーハウスプロジェクトはどのようになれば成功と言えるのだろうか?。彼らの企画書では何がゴールなのか。気になるところだ。
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本来のクラウドファンディング(CROWD FUNDING) は、広義の公益プロジェクト~アイデアに協賛する人が費用を供出してプロジェクト/アイデア を支援し、その成果を共有するもの。寄付と異なるのは、目的が特定されていることと、何らかの形で成果を共有することにある。
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ホームページ(何かの業者が用意したサイト? ボランティアで支援するサイト?)を見ていると応援メッセージの輪が広がっている。何かにジャンプする子供らに声援を送っている。この人たちは沖縄の埋め立てに反対する署名にも参加したんだろうか。逆に沖縄の自然破壊などなんとも思わない人達なんだろうか?。
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「人口流出」 「若者たちの憩いの場」「地域の未来」といったキーワードが並んでいた。県内の公園を訪れると健康器具・施設が用意されているところもあるがあまり利用されている様子は無い。だから無用と思う必要もないけど誰かの一時的な思い付きの結果かなと思わされる。物珍しく思う最初は一定の利用があってもそれで終わる事例は多い。
キーワードとツリーハウスという着地とどういう因果関係があるのかよく分からない。理解不足なのかな?。暑くも寒くもない風もない天気のいい日に、特定の人(不特定利用?)が静かに読書を楽しむ。 受験はまだ先の先と思える1年生ならチャンスはあるかな。3年生になったらそれどころじゃないだろう。
子供の思い付きに大人が意義を後付けしたと思うと子供に責任は無い。キーワードのものが目的で方法論がツリーハウスならその合理性をしっかり議論した方が良さそうだ。
などと言ったことも含めて全て課外授業・社会勉強と言うことかな。
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(追記)ファンディング時間5日間を残しているが既に目標の金額を達成していた。取り敢えずオメデトウと言って良いのだろうね。 集金のペースを見ると極順調だったようだ。テレビで取り上げられたのも幸いしたか。若者と地元(?)の協業の成果か。
問題はこれから。まず気になるのは、活動はオープンで進めるのかクローズなのか。出資者への情報提供は当然だが、地域一般への情報提供も行うのか。
今後の苦労も喜びもいずれ貴重な経験だ。
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