日記の書き方
日記、その名の通り、日々綴る記録のようなもの。
業務であれば業務日誌と呼ぶことが多い。業務上の記録を残す。複数人で回して業務引継ぎを兼ねて記録することも多い。一人の場合は進捗の確認を兼ねるものもある。
個人的な出来事の記録は日記という感じだ。必ずしも事実の記録に限らない。心情的なものも入ってくる。その場合は心の記録になる。備忘録的なものもある。あるテーマに沿ったものもある。
毎日であったり気まぐれであったり、日記は極めて自由だ。3年日記というものもある。居ん絵、一昨年の今日は何をやっていたかが分かるので、季節の行事や仕事がある人には重宝する。
読む人は自分限定であったりするが、特定の人にだけ見せるものもある。不特定多数に読んでもらうものもある。
最近は、インターネット上に日記を書く人も多い。社長ブログの類はその例として分かりやすい。有名人の多くは何かの日記的な活動をしている。ツイッターとかブログとかフェイスブックとか、手段はいくつも無料で提供されている。クラウド上にも3年日記があってもいいと思うが意識したものにはお目にかかれない。
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公開日記における諸注意
- 理由無く特定の人や団体などを誹謗中傷してはいけない。偏見に基づく差別的な発言は許されない。
- 意識して特定の人または団体を批判する場合は、その行いを明確にし、その行いを批判すること。正義に相反するものであることを客観的に示すこと。人格を攻撃するのはいけない。「馬鹿な行為だ」はセーフとしても「馬鹿な人たち」は避けること。
- 気付かないで誰かを攻撃していることもあるから、読者からの気付きを受け入れるための手段、例えばはコメントは自由に書けるようにしておくこと。
- 嘘を書くときは嘘と分かるように書くこと。
- 嘘か本当か確証の無い場合は、少なくとも断定的な表現は避けること。
- 公開コンテンツを引用する場合は引用範囲と引用元を明確にすること。
- 引用内容と自分の意見を混同しないこと。
- 客観的事実は引用でも意見でもないことが分かるように識別すること。
- 記事内容の要所を修正、削除、追加した場合は最後の修正日を記載すること。軽微は不要。
- 個人名はニュースメディアで公開された場合は記事中で使用してよいが、ネット上の個人的なコンテンツ内の個人名は記事中では使用しない。
- しかし、何の記事コメントも伴わない、名前だけのリストについては問題無しと判断する。性別、所属組織、地域、年齢などは一切記載しない。
テーマ日記における諸注意
- 内容の網羅性を追及しない。日記に完成はない。日記に完全はない。
- 形式の網羅性を追及しない。気が向いたときだけ記載する。
- 主張とその根拠を明確にすること。主張と感想を分離し混同しないこと。混沌としている場合は記事にしてはいけないのではなく、混沌としている旨を記載しておけばよい。
- 願わくば、一つ一つの記事はそれ自身で一つのコンテンツになっていること。しかし、途中で放り出すのは全く構わない。
- 矛盾は否定しない。辻褄を合わせる努力はしないこと。更なる時間と情報と考察がいずれ矛盾を解決してくれるかも知れない。
- 情報ソースまたはネタは多くの場合は殆どゴミである。其れを洗って金塊を探し出す努力は貴重なものだが、多くは時間の無駄使い。保管した情報ソースを点検すると既に過去の物、無用なものであることが多い。日記の時代性をもっと考慮すべきだ。古くても必要な情報はまた現れるものと考えるのが健全だろう。
- 時代性は問題意識の時代性なのだ。タイムフレームで視点は変わり問題も変わる。
日記の止め方
- 止める(やめる)とは、いきなり削除ではない。新たな記事起こしを停止することです。メンテナンスモードに入るのもありだろう。
- 面倒に感じたら止める。
- 結論が見えたら止める。見えた結論は最終記事としてどこかに残してもよい。
- とりあえず一巡したら止める。
- 興味が無くなったら止める。
- 特記事項だけ不定期に追記する。
- 公開を止める場合は、非公開モードに変更する。次にローカル環境にダウンロードする。クラウドのコンテンツは削除する。
- ローカルのコンテンツはそのまま削除しても良いし、未練があるなら光学ディスクに保管するか、印刷する。固有のアプリを前提としたファイル形式とならないように汎用的な形式で保管する。今ならPDFか?。
- 止める時、あるいは年度を区切るときのイメージとしては、写真のフォトブックとかイヤーブックとか、一つの作品になっていること。あれも作品の完成度はさまざまだけど、気にしなければそれまで。自己満足レベルで十分ということだ。
- ツイッターとかブログとかフェイスブックとかのブックサービスって世間威はまだ無いのだろうか。まあ、時間の問題でしょう。
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