ネット社会の魔力が栗城史多を「冒険の共有」に走らせたのか






”冒険の共有”栗城史多の見果てぬ夢」を先日、令和元年未明の4月ごろのNHKスペシャルで放映していた。録画しておいたもので実際に見たのは最近のこと。




名前が難しくて調べないと読むことは出来なかった。それ以上にこの人の人生は難しかったような印象だ。

ネット社会に振り回された意味で毀誉褒貶と人生を特徴づけたのだろうか。



それでも、どちらかと言えば、ネット社会に支えられ、価値観もネット社会を意識して醸成されていったような気がする。

滑落死。若い命の最後は滑落死。自殺ではないが、恐らくいつかこの日が来るのを分かっていて死ぬまで続けていただろうと思わせる。

*

群衆の魔力。群衆の賞賛を一度でも受けると人はもう引き返せなくなる。昔は、広場に人を集めるのは並大抵のことではできない。まして、そこで群衆の歓喜を目にすること、全身で感じることなど1万人の生涯でも難しいことだ。一度でも経験出来たら群集心理の相乗効果も理解できないまま、全く違った価値観に身を置くことになる。政治家が政治屋になって目的と手段が入れ替わった人生を歩みだす瞬間だ。

しかし、

ネット社会では割と容易に「いいね」を貰えてしまう。ロングテール、ニッチの市民権、それらは、どんな主張にもポジティブにレスポンスを入れてくれる。ネット社会も群衆心理が働く。勘違いも始まる。覚悟の勘違いもあるだろう。

群衆、聴衆、そういったものを意識したら、その時の自分はステージに上がった自分。

真面目な奴ほど、降りることは難しくなる。

昔なら、広場を離れたり、沿道を離れれば、群衆は見えなくなって、平常心に戻ることができる人もいる。

今は?。恐ろしいことにネット社会は何処へ行ってもついて回る。ステージから降りることが出来なくなるのだ。

昔は1:Nの関係。主張する一人と賛辞を来る大勢。

今はN:Mの関係。主張する複数の人と賛辞を贈る複数の人。収拾がつかない。脱線するが、断捨離のメニューにはネット断ちが入らないと意味がない。



  1. 山男にも爽やかと言い難い人種が紛れ込んでいる。
  2. 山男は想像以上に妬み嫉みが甚だしい。
  3. 山男は不器用・糞真面目。
  4. 山男の男気。
  5. 勇気をもらった大勢の存在。
  6. 冒険の共有は確かな新しい価値。 
  7. リアルとバーチャルの間(はざま)から抜け出す方法。




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