- プレジデントの記事を最初に読んだ方が良い。その後で簡単に振り返れば、ストレートに共感できるかもしれないし、タイトルと内容に乖離を感じるかもしれない。
- 目的を達成するための行為が努力と理解できるが、ここで結論として言っていることは目的そのものを疑うことに近い。一種のすり替えに見えるが必ずしもネガティブな意味合いではない。
- 人と人の心を救うために導き出された知恵と言っても良い。現代の人の精神は老若男女を問わず常に病んでいると思えば、多くの人が無事な間に身に付けてよい知恵だろう。症状が出てからでは、その知恵の恩恵にあずかるのは難しいかも知れない。
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https://president.jp/articles/-/54514
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「"努力は実を結ぶ"なんてウソである」理不尽な世界で生き残るために本当に必要な知恵
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斎藤学(精神科医)の記事だけど、肩に力が入り過ぎている言葉だね。意図的に出鱈目を並べて耳目を集めたいのだろうか。読み手の心理状態によっては傍迷惑な記事だ。
読んでみると精神科医の苦しみが見えてくる。知恵と行動の乖離を埋めるために必要なものが明確に出来ていない。行動を引き出す力を身に着ける術。
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努力は実を結ぶ?
結実。成果。太陽の光と雨の恵に育まれて植物たちは秋には実を付ける。普通に生きてきただけのこと。でもその普通が大変な努力に違いない。しかし、全ての植物が100%結実できる訳ではない。環境の影響を受ける。
"努力は実を結ぶ"なんてウソである?
この言葉が嘘だろ。正しくは実を結ぶこともあれば実を結ばないこともある。だから、「精神科医は噓つき」とやっても良いのかな。
理不尽な世界?
報われない努力はある。嫌、努力では追い付けない物事がある。理不尽を経験しない人は少ないだろう。努力家ほど努力の限界を知るだろう。
崖っぷちに種が落ちて着床した植物は、僅かな土・僅かな水・僅かな光だったとしても努力を止めようとしない。大きな実を付ける可能性はゼロであっても。無視や鳥に食べられて、さっさと枯れてしまうかも知れない。
幸か不幸か、動植物を見る限り、生きることは努力そのものだ。与えられたミッション、あるいは欲望のままに生きている。恐らく、人も欲望が残っていたら努力を止めることはできない
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「努力すればなんとかなる」という無責任なセリフ ?
”なんとかなる”は悪意の引用だね。努力すれば努力したなりの成果が期待できるということを、無責任と言いたいためか、捻じれた引用になっている。努力無くして成果なしくらいなら多くの人が口にしたり聞いたりするだろう。
この精神科医は誰かを否定したいのだろうか。何とかなるなど無責任な言い方をする人は少ない。例外的人をあげつらっても響かない。
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親ガチャ?。生まれた家、親家族、地域・国、時代で、決定付けられるものは多い。そもそもただの人間だし。
精神科医の言うように自分の属性の殆どは最初から決定づけられている。
なんか変だね。精神科医の言う努力って何だろう?。人間が鳥になろうとすることが努力?。貧乏人が金持ちになろうとすることが努力?。
無意味な設定を前提において、努力を否定しようとしているのかな?。
「努力が足りないからダメ」という考えをやめる
イチゼロの議論を好むらしい。物事はケースバイケース。柔軟な発想で宜しくないか。鳥には成れなくても何十センチか飛び上がることはできる。練習すれば高く出来るが、それでも何メートルとなれば無理。人間とは所詮その程度。努力でカバーできる範囲とカバーできない範囲があるものだ。
だけど、テーマによっては、努力の程度あるいは加減の程度が全くイメージできないこともある。努力と結果の因果関係が全く見えないケース。人生で初めて遭遇する局面というのは少なくない。
振り返れば分かる事でも、事象の先端に立った今その局面では難しい。
- 何も考えずに、取り敢えず、当たって砕けろで進む。
- サイコロを振るかとか占いとかで決めて進む。
- 自問自答して自分なりに仮説を立てて進む。
- 五里霧中を用心深く手探りで少しずつ進む。
- 先人の話を聞く。
- 書物、今ならネットの情報を参考にして、進む。
目的と方法(努力)が整合しているかどうかさえ分からない。だから、方法論の検証が先に来るのだろうが、その答えすら直ぐに分かるものではない。
毎日の選択が人生の岐路と思えば、努力が足りているかどうかは、なかなか分からない。他人と比較したり、平均と比較したりしても、多少の妥当性は判断できない。
恐らく。その加減は自分で決めればいいことだろう。何処かで、自分の納得が得られればいいのではないか。
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自分の人生、自分の道、
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努力が報われない人にかけるべき言葉
詭弁になるかも知れないが、努力したという事実又は経験が成果と思えば、報われない努力はない。収穫目的の努力が台風で不意になることもある。掛ける言葉は見つからない。気休めは御法度。
タレントの話?。ピアニスト。天才ピアニストには勿論無理です。天性は努力の外の話。勿論、才能を引き出す努力は必要。ピアニストを目指して努力している人は、才能の限界を探る努力と言い換えて良さそう。
結果は、近所の子供に教えるくらいの才能と分かるだけかもしれない。全く肌に合わないと分かれば、食っていくためには別の道を進むかも。音楽に限らない、芸術、スポーツ、勉学、全てその適性が何処にあるか探る時間がある。子供の時代はそんなもの。
タイトルに戻ると、努力は、自分御を知ることができると言う成果をもたらすし、改善の手掛かりを得ると言う成果をもたらす。成果にできるかどうかは自分次第。その貪欲さが努力に欠かせないものなんだろう。
そう。少し冷たいけど「何を学びましたか?」でしょう。
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信じている価値観を疑ってみることが大事
これは二重三重に難しい。自己矛盾も抱えている。
自分が信じている価値観って何だろう? 。常識を疑えと言うフレーズはよく聞くから近い意味合いの投げ掛けなのかな。
自罰・他罰を止めるとあるがあまり聞かない言葉。自責・他責と同じ意味合いだろうか。精神科医の世界は少し特殊なのかも知れない。
自分を束縛しているかも知れない考え方(価値観)を一旦取り払って自由な発想をうながしている。所謂固定観念と言う奴の払拭かな。
しかし、道を見失っている人に対してはリスクもある。勝手に絶望して自暴自棄になって反社会的なことも何も構わず一人旅に出かけることがあるから。
精神科医の努力で心を解き放たれた患者の暴走が事件になっていないか。価値観のスクラップ&ビルドは決してギャンブルにしてはいけない。
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「これを選べばうまくいく」絶対の正解はない
凝り固まった“価値観念をはずす”?
少し怖い話だね。その価値観年には何か理由があるからだ。外せば自由になると言うのも固定観念かも知れない。中途半端に価値観の構造を解体していくと想定外の事態を招く。精神科医は最後まで面倒を見ることができるのだろうか。
物事に絶対の正解など無いだろう。どうしても極端な物言いをしないと駄目な世界にいるのかも知れない。精神科医の世界は想像以上にストレスを受けているように見える。
毒親期?。いきなり出て来ると混乱するね。
成長過程で正しい道と間違った道がある。自分は道を間違えた。多分に毒親に責任がある。親を責めて近道を探す?。
正解がない以上は、人生は、程度の多少はあっても、失敗の連続。全ての経験は何かを教えてくれている。学ぶことの無い経験程詰まらない物はない。
学びを成長にできればまた楽しいだろう。
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凝り固まりがちな人はもっといい加減になろう
精神科医の苦労が垣間見えるパラグラフ。自分で意識しないでも自分のある観念で自分を縛っている人が多いのだろう。
アイデアプロセッサを治療に使うことを薦めたい。アイデアプロセッサと言うと大袈裟だけど、只のワープロ~メモソフトと思っても良い。治療と言う意識無しに、自分をリハビリ~トレーニングできる。高校生前後(中学~大学)の年齢で有用な筈。
外からの言葉で解きほぐすのは大変だけど、自分の言葉で解きほぐすのはスムーズな筈。その様子をモニターしても介入は要注意。さらに深く心を閉ざす理由になることも考えられる。
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観念に縛られていると次の一歩が踏み出せない
精神科医の気持ちは伝わって来るけど、メッセージが今一クリアに見えてこない。
ここに来る子供たちはとても不器用なんだ。恐らく子供に限らない。大人でも、知らない間に同じ穴に落ちていることがある。知らない間に何か前提を置いていたり。
例えば、シーケンシャルメソッド。固定手順問題と言った方が分かり易い。パラレル、すっ飛ばし、ゲームで言えばズルが出来ない状態。自分で自分に制約を付けている。
現象を描写できても、解決は難しい。自由にすると言うことで、答えが得られる訳ではないからだ。拘りは存在の根拠であることもある。
自由に考えるより世間に流される方が楽な時もある。
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立ち止まってしまった人が再び一歩を踏み出すのは本当に難しい。
言葉や理屈を並べても本当の理解には至らない。踏み出せないのは理屈ではないんだ。
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過保護から抜け出す手順書
そんなものあるかな?
失敗が良い体験と思える経験をすること。単純だけど、案外難しい。
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「うまくいかない今」から視点を変えるインパクト
何だろうまるで禅問答だ。出口を見失っているようだ。精神科医が必要かもしれない。
理屈では飛び越えられない世界に気付いたみたい。
体験して身体に刻むしかない。
反復して素質にするしかない。
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