「七日間」
神様お願い この病室から抜け出して
七日間の元気な時間をください
一日目には台所に立って
料理をいっぱい作りたい
あなたが好きな餃子や肉味噌
カレーもシチューも冷凍しておくわ
二日目には趣味の手作り
作りかけの手織りのマフラー
ミシンも踏んでバッグやポーチ
心残りがないほどいっぱい作る
三日目にはお片付け
私の好きな古布や紅絹
どれも思いが詰まったものだけど
どなたか貰ってくださいね
四日目には愛犬連れて
あなたとドライブに行こう
少し寒いけど箱根がいいかな
思い出の公園手つなぎ歩く
五日目には子供や孫の
一年分の誕生会
ケーキもちゃんと11個買って
プレゼントも用意しておくわ
六日目には友達集まって
憧れの女子会しましょ
お酒も少し飲みましょか
そしてカラオケで十八番を歌うの
七日目にはあなたと二人きり
静かに部屋で過ごしましょ
大塚博堂のCDかけて
ふたりの長いお話しましょう
神様お願い 七日間が終わったら
私はあなたに手を執られながら
静かに静かに時の来るのを待つわ
静かに静かに時の来るのを待つわ
※
暫く。コピーを載せます。後で消します。
※
ふたりの最期の七日間
NHKでやっていた。
涙が出てくるのはどういうわけなんだろう。
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https://blog.goo.ne.jp/taku6100/e/63b848147e21cfeae15a46e389f6cfef
『妻が願った最期の「七日間」』 ……もし神様が七日間の元気な時間をくれたなら……
2018年10月03日 | 読書・音楽・美術・その他芸術
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いつも利用している図書館で、
そのタイトルに惹かれ、
何気なく手に取った一冊。
126頁ほどの薄い本なので、
パラパラと立ち読みする。
巻頭に、カラー写真が数枚。
その中に、新聞に投稿欄に掲載されたとおぼしき写真があった。
一読し、その短い文章に感動してしまった。
本を借りてきて、本文を読み始める。
あの新聞に投稿欄に掲載されたとおぼしき写真は、
2018年3月9日付の朝日新聞の投稿欄に掲載されたものであった。
投稿したのは、宮本英司さん。
【宮本英司】(みやもと・えいじ)
1947年、愛媛県生まれ。
早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、大手製パン会社に就職。
1972年、学生時代から付き合っていた容子さんと結婚。
2児の父親となる。
2018年1月19日、45年間連れ添ってきた妻が他界。
生前に綴った詩「七日間」を新聞の投稿欄に応募したところ、掲載されて大反響となる。
現在、愛犬「小春」ちゃんと暮らしている。
神奈川県在住。
この新聞の記事は、またたく間にSNS上で広がり、
数日間で約19万人の「いいね」とともにシェアされたという。
テレビ局や出版社からの問い合わせもあり、
様々なメディアで取り上げられたそうだ。
だから、もうご存知の方も多いのではなかと思うが、
私自身はまったく知らなかった。
容子さんが亡くなられたのが、2018年1月19日。
新聞の投稿欄に記事が掲載されたのが、2018年3月9日。
本(サンマーク出版)となって出版されたのが、2018年7月30日。
あまりの急展開に、
私たち夫婦の平凡な歩みが、こんなにもたくさんの人たちの共感を呼ぶなんて、正直なところびっくりしています。
と、宮本英司さんは驚いている。
本の内容は、
・詩「七日間」
・「七日間」ができあがるまで
・二人の物語
・夫婦について
・最後の返信(あとがきに代えて)
「二人の物語」の章は、
2016年2月、英司さんと容子さんが出逢ってから50年目ということで、
容子さんが「二人の物語」として書いた文章に、
「あなたも書いて」と容子さんから言われて英司さんが書いた返信を合わせたもので、
往復書簡のような形になっている。
さながら、短い恋愛小説を読まされたような感じで、
出逢ってから50年も経つのに、こんなにも深く愛し合っている二人の関係に、
あらためて感動させられる。
そして、「夫婦について」の章で、
英司さんは、こう書いている。
今回のように、たくさんの方たちが詩「七日間」に共感してくださり、たくさんのお手紙や感想をいただく中で、私なりに感じたこともあります。
私は、容子が生きてさえいてくれれば、それでよかった。たとえ病院に行ったときにベッドで眠っていて私と会話ができなくても、生きてさえいてくれればよかった。たとえどんな状況であろうとも、生きていることが私の生きがいであり、幸せでした。
ですから、もし今、お互いを大切にできない人が目の前にいるなら、どうか考え直してください。もし、夫婦仲が今ひとつよくない人たちがいるなら、お互いに相手を大切に思ってみてください。お互いに受け入れられるようになればいいですね。
人が亡くなった後の喪失感が、これほどまでに激しいものだとは、体験するまでわかりませんでした。まるで自分の半身がなくなってしまうような感覚です。いずれは誰もがみんな体験することなのですが、頭ではわかっていても、いざ現実になると悲しくて、切なくて、苦しいものです。
読後、あらためて冒頭の詩を読んでみる。
「七日間」
神様お願い この病室から抜け出して
七日間の元気な時間をください
一日目には台所に立って
料理をいっぱい作りたい
あなたが好きな餃子や肉味噌
カレーもシチューも冷凍しておくわ
二日目には趣味の手作り
作りかけの手織りのマフラー
ミシンも踏んでバッグやポーチ
心残りがないほどいっぱい作る
三日目にはお片付け
私の好きな古布や紅絹
どれも思いが詰まったものだけど
どなたか貰ってくださいね
四日目には愛犬連れて
あなたとドライブに行こう
少し寒いけど箱根がいいかな
思い出の公園手つなぎ歩く
五日目には子供や孫の
一年分の誕生会
ケーキもちゃんと11個買って
プレゼントも用意しておくわ
六日目には友達集まって
憧れの女子会しましょ
お酒も少し飲みましょか
そしてカラオケで十八番を歌うの
七日目にはあなたと二人きり
静かに部屋で過ごしましょ
大塚博堂のCDかけて
ふたりの長いお話しましょう
神様お願い 七日間が終わったら
私はあなたに手を執られながら
静かに静かに時の来るのを待つわ
静かに静かに時の来るのを待つわ
容子さんが、最期に願ったことは、
〈もし、神様が七日間の元気な時間をくれたなら……〉
という、
日常生活における、本当に“ささやかな願い”であることが解る。
普通に日常生活を送れている人ならば、
誰でもできる簡単なことなのだ。
英司さんは、新聞に投稿した記事に、こう書いている。
妻の願いは届きませんでした。詩の最後の場面を除いて。
《私はあなたに手を執られながら 静かに静かに時の来るのを待つわ》
容子、2人の52年、ありがとう。
4年ほど前に、
『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』という映画を見て、
……かけがえのない「今」……
と題してレビューを書いた。(コチラを参照)
そこで、私は、次のように記している。
「未来から来た人間だと思って日々を大切に生きる」
たとえば、中高年であれば、
年老いて、躰が不自由になっているかもしれない20~30年後を想像してみる。
私など、いつも最悪の20~30年後を想像している。(笑)
寝たきりとなり、
娘たちや孫たちにも見放され、
お尻をつねられたり叩かれたりしながら、
配偶者にオムツを取り替えてもらっている。(爆)
そこまで想像して、さらに、
「ああ、20~30年前に戻れたら……」
と、後悔している自分を想像してみるのだ。
そして、20~30年前の自分に(つまり今の自分)に戻って、
ホッと安心するのだ。
「まだ間に合う。もっと配偶者や娘たちや孫たちに優しくしなくては……」
と。
寝たきりになった自分や、
もう自由に動くことができなくなった自分を想像して、
〈もし、神様が七日間の元気な時間をくれたなら……〉
と、
その願いを紙に書き出してみるのもいいかもしれない。
その「七日間」の願いは、
今のあなたなら簡単にできてしまうことなのではあるまいか……
“かけがえのない「今」”について考えさせられた一冊であった。