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ネット(SNS?)を使った公開レビューの進め方に関する考察



ネット(SNS?)を使った公開レビューの進め方に関する考察

取り敢えず仰々しいタイトルだな。

見ようによっては誰でもやっていること。

人や団体、企業、国家など、相手かまわず、素晴らしいと言ってみたり、こき下ろしてみたり、日本は自由の国とおもう瞬間。

多くは匿名だが、立場で物言う人は実名で、顔写真までつけて、議論に参加する。



(1)ファクトファインディング:オープン型

データ、事実を時系列に並べるだけ。

評価は世間に任せる。

しかし、

個人情報が入ってくると、面倒なことになる。市役所の窓口のAさん(実名)はこんなことを言いました。ってやっていいのか。想定外の迷惑をかけるかもしれないことを想像して、文字通りAさんで止めておいた方がいいだろう。

だがしかし、

目的がAさんを糾弾したいとなると面倒だ。直接個人名を入れなくても関連情報を入れる可能性は高い。不正行為の摘発が意図にあるならやむを得ない。最低限の県政にはなるはずだ。

(2)ファクトファインディング:クローズ型

事実情報に個人情報・内部情報を含める。

但し、だれでも見ることはできるような場所にはアップしない。一定の条件がクリアされないと閲覧できない。

個人レベルであれ、ビジネスであれ、グループ内共有と同じ仕掛けになるが、公開レビューの場合は、閲覧者を限定~特定するには、別の運用が加わるので大変。相手の特定・信用調査・開示条件の設定・開示となる。

(3)問題指摘

ファクトファインディング(1)(2)を踏まえて、問題を指摘する。

事実を提示しても問題意識が希薄な場合は、やり過ごすことになるから 問題の所在まで踏み込む。

何を問題として捉えるか。相対的な側面があるから、共有化は簡単ではない。問題の所有者の概念を持ち出しても、当事者が見えない中では上手くいかないだろうが、チャレンジする価値はありそうだ。

 (4)原因推定

これはさらに難しい。仮説を積み重ねる。主張が入る。利害が入る。原因の先には責任が待っている。責任の先は罪と罰の世界だ。

多数決の世界ではない。最も合理的な推論に基づいて、それでも依然仮説のままだが、原因を特定すればよい。

(5)仮説に基づく、説明責任要求:

ネット上で、オープンで、市民レベルで、レビューの一環でできることはこの辺まで。

行政でも、企業でも、団体でも、時として個人でも、実際に説明を行うことがあるし、その後の対応や行動に制約が入ることがある。無視、放置もある。

ネットが怖いのは、問題が解決するまで、未解決問題として永久にネット上に存在し続けること。レビューを始めた人が認知症になったとしても、ネットは記憶喪失にならない。問題が本質的であれば、賛同する人が問題の存在を拡散していく。削除のために画策すると、そのことがまたネット上にアップされること。

メディア的な価値があれば雑誌やテレビやYOUTUBEなどネットメディアまで動き始める。有無を言わさない公開レビューになりそうだ。




ことさら大げさに考えることはない。

どういう気付きも最初は一人。一人で地味に始めれば十分。大問題も小問題も基本的なステップ、構図は同じだから。

ネットの特徴はどんなニッチな問題も見逃さない。どんな小さな問題、反乱、気づきでも、ひとたびにネットメディアに乗せれば公平な(?)扱いを受ける。必ず当事者にメッセージは届く。



サイトの作り方を考えると、

(1)(2)は事実のみに徹して別建てにする。

(3)(4)は試行錯誤するプロセスになることもある。別建てにしておいた方が安全。問題と原因はセットで議論することも多い。多くは一本釣りで収まる。

(5)は組織の責任者に説明を要求するもので 、例え、的を外していても問題にならない。企業の社会的責任の一環として、問題の有無にかかわらず、むしろ濡れ衣をぬぐうために、協力は得られるものだ。

世間のサイトは色々混在しているが、運用上特に負担でなければ問題ない。

疑問に思ったことを投稿するときに、例え一つの記事の中でも 、心掛けとして、(1)~(5)の流れを組めば容易に自分なりの結論が得られるだろう。