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毒親はどこから来てどこへ行くのか?




毒親はどこから来てどこへ行くのか?

NHKクローズアップ現代+「毒親って!?・・・」(2019年4月18日(木)22:00)をやっていた。以前から毒婦は聞いたことがあるが、毒親は最近の言葉。



毒親「Toxic Parents」は米国でスーザンフォワード等によって発表された概念。

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Toxic Parents:有毒な親=毒親


有毒とする内容は、親の子に対する行為として①②③を上げている。

  • ①過干渉
  • ②暴言・暴力
  • ③親優先(無視・ネグレクト)

しかし、これは結構難しい。毒婦のように悪意を伴う場合は問題点は明らかだが、殆どの場合、親は愛情・愛着・善意をベースで子に接しているから、何が問題かが、特にその時点では分かり難い。勿論、千葉県で発生した虐待死亡事件は毒親のレベルを超えた以上犯罪と言うべきもので、隠ぺいは本人の犯罪自覚を証明している。

薬のつもりでも過剰摂取は毒になることは知っているが、薬が毒に変わる分岐点は知ることができない。相互関係で評価する内容だからだ。相互関係なのに親は子に対して絶対的なポジションを持っているから、相互関係の状況を探ることさえ難しい。

適度な接触、刺激、反応などのどこにあるか、実は誰も分からない。



多くの場合、毒親と認識できるのは、相当の時間が経過してからだ。親の薬のつもりの影響が子供に毒として残って副作用/反作用を起こして初めて、親子は自身の毒を認識できる。

スポーツのトレーニングは過剰だと健康を損なう。1日10キロのランニングが適量かどうか人による。体調による。自分で気付いてセーブできる人もいるが、身体を痛めて初めて気づく人もいる。筋肉は直ぐに結果がらわれて経験を重ねることができる。子供の心に残る毒は大人になって毒だったか薬だったかが分かる。振り返ればシグナルは出ていただろうから、気付き・軌道修正もできたかも知れない。

結果論、個性の問題で片付けていては、苦しい思いをする人を減らすことは出来ない。



毒親に育てられると・・・

クローズアップ現代の番組では、以下のようなことを上げていた。大人になっても、大人になる過程でも、幾つも問題を抱え込むようになるようだ。
  • 過渡に従順・反抗的
  • 心身の障害・適応障害
  • 育児や夫婦関係に支障
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親は、子にとっては色々なストレス社会の中で最後の砦とか。親もそれを自覚するから子を守ろうと必死になる。過保護もその例。結果、社会性まで危うくなる。気付かない親は結果ネグレクトになる。



誰が毒親を作るのか?

幾つかの仮説:残念なことかもしれないが、・・・。

(1)自己中心に考える親。過渡な責任感に潰された親。経験のない親。「愛の鞭」も「愛の無知」も分からない親。
(2)親に従順な子。自分より親雄ことを考える子。我慢する子。自我の発達の遅い子。マザコン。
(3)核家族。小家族。近くに親戚がない。親戚付き合いが少ない。家族同士の付き合いが少ない。孤立した家族。
  • 要するに、伝承された不器用な資質ということになる。不幸の連鎖だ。
  • 対策は、粘り強いコミュニケーション努力しかないが、不幸なことに子が親に対する正常なコミュニケーション能力を持つことは子自身に気付きの時が来なければ出来ない。
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毒親回避策:

これもクローズアップ現代の中で紹介されていたもの。親は、子供に対するストレス要因であると同時に、社会からのストレスに対する防波堤。守りの要(かなめ)。最後の砦。この自己矛盾するポジションが毒親の本質かも知れない。

それでも、心掛けとしては、

  • 安全であること。脅かさない。
  1.  シェルターとして機能しなければいけない。警戒の必要がない。保証された生活。親はこれを最優先に考え、仕事に出ていく。
  • 適度な距離感。ほどよい世話。
  1. 過干渉とネグレクトの間。子供が出すシグナルを 受け止める工夫が必要になる。
  • 共感性(思いを汲む)
  1.  思いの共有と言うとパートナー同士の感覚だが、子供の場合は、思いを汲んで気持ちを尊重する態度。難しいのは子供の本音は何処にあるか判断できないこと。ある日突然気持ちを聞いても駄目なのは当然だ。日常的に子供の中で醸成されてきた価値観を探る努力が必要。
  2. 夫が企業戦士でビジネスマンをやっている場合は、妻の役割が大きい。


普通なら多くの子等は、思春期に、反抗期の有無にかかわらず、更なる新たな自我の確立のために自分に内在するものと葛藤し、薬と独の再評価も行って、新しいステージに立つことができる。ヘルマンヘッセの春の嵐の描くところだ。

この青春期のチャレンジをスキップしてしまった人(毒ぬきが出来なかった人)は一生を被害者意識を持ってい来ることにある。

「毒親」はどこにでもいる。多くは過去形の話だ。現在形で毒親を感じているのは別の問題があるのだ。何時までも毒親のラベルを貼ったままにしているのは、ラベルを剥がせない自分の問題がある。

自分と関係性を客観的に捉えて、自分の尺度で評価すること。これを繰り返し、より本質に迫ること。要するに「自分理解」だ。 

誰でも、毒親の連鎖の中にいる。誰でも毒を持っている。人間の性と同じ。自分を理解できた時(自分を説明できる時)、毒は毒でなくなる。心の要素の一つに過ぎなくなる。



興味深い記事:

長すぎてそのまま引用する訳にも行かないけど、一度しっかり目を通しておきたい。この手の記事は時間が経つとリンクできなくなる可能性もあるから早めに。

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『毒親サバイバル』から考える「家族の絆」至上主義の罪

絆や愛に飢えることは、時に人を危険に晒す。   
2018年09月07日 10時43分 JST | 更新 2018年09月07日 11時09分 JST

雨宮処凛    作家・活動家 

8月末、17年度の児童虐待が13万件と過去最多であることが報じられた。 その中でも、子どもの心を言葉や行動で傷つける「心理的虐待」が半数を超えるという。3月、東京・目黒で5歳の女の子が命を落とした事件には多くの人が胸を痛めた。「もうおねがいゆるして」「ゆるしてくださいおねがいします」。5歳の女の子が書き残した言葉に涙した人は多いはずだ。 虐待が社会的な注目を受ける一方で、虐待を受けた子どもの「その後」について語られることは多くない。過酷な環境を生き延び、心に大きな傷を負った彼ら彼女らは、その後の人生をどのように歩んでいるのか。過去とどのように向き合い、折り合いをつけ、今は親のことをどのように感じているのか。特に私のような昭和生まれ世代だと、「虐待」がまだ「しつけ」と言われたような時代に育っている。同世代や上の世代には、自分がされたことが「虐待」だと気づくのに数十年もかかっているようなケースもある。「虐待」は、児童相談所に保護される子どもだけの問題ではない。それが、私が日々感じていることだ。・・・

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