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被害者意識が行動の基点になっている人
被害者意識が行動の基点になっている人
被害者意識が行動の基点になっていることは少なくない。怒りや恨みをエネルギーにして思わぬ力を持った行動になることも。過剰反応も。自分を鼓舞するために意図的に被害者の自分を意識する人もいる。
被害者意識では無くて実際の被害者だから怒って当然と思うでしょう。それこそが被害者意識の本質。被害者なのに意識しなければ被害者にならないで終わってしまう。それの是非は分からないが現実。理解や認識が変わると唐突に被害者が出現する。
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始末が悪い。ある日突然、相手を加害者にして批判を始める。
始末が悪い。不健康で非建設的で、
被害者意識を持たれる、加害者の立場に立たされる、そのこと自体が被害者意識を生む。負の連鎖。
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間に第3者を置いて客観的に冷静にと思ったところで、負の連鎖は断ち切れない。怖いね。
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麻薬と同じ。興奮はエネルギーを与えてくれるが満足は無い。怒りをぶちまけて空しさが込み上げてくる。さらに怒ってエネルギーを発散しても次には空しさが。怒れば怒るほど、空しくなる。嫌、普通はその虚無感を意識することもできない。馬鹿みたいに怒り続けているようにしか見えない。
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忘れることは解決策ではない。
正義も罪も時代の子。普遍的な正義と罪は何か存在できるか?
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自分が負の連鎖世界の中心にいることに気付け!
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抜け出す方法:
残念ながら簡単でない。被害者意識は架空仮想のものでないからだ。現在と過去の事実が存在する以上は妄想話ではことは解決に進まない。
未来志向と言ったところで老人には明日は無い。老人の人生の清算が被害者意識の解消では残念だろう。普通なら恥ずかしく成る筈だ。
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感謝の心。尊敬の心。回りに支えられている小さな存在。
これらを意識できない人。表現できない人。 この人たちは被害者意識の人とほぼ一致する。誰かが何かしてくれて当たり前。自分は特別な存在。普通に我儘(当人は我儘という自覚なし)。過保護当然。
何のことは無い。
被害者に回った方が楽なだけだ。 体調が悪い。そういえば許される世界。被害者なら、回りが気を使ってくれる。
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