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平成の大合併から今~揺れた村の行方~ | TSBの番組 - テレビ信州

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旅先でテレビ信州を見ていたら「平成の大合併から今~揺れた村の行方~」というタイトルの番組が流れていた。

妻籠・馬篭は長野県だと思っていたら岐阜県に編入されているらしい。それも10年か20年前。所謂平成の大合併の時だ。当該の山口村は昭和の時にも合併問題が起きていたようだ。すったもんだ~紆余曲折の末に山口村は岐阜県中津川市に編入された。

政治行政の能率向上のための市町村合併は日本中で行われた。市町村名も変更された。日本中が苦んでしまった大失敗の政治。

さてさて。

岐阜県中津川市が欲しかったのは観光収入だけ。山口村の福祉サービスは切り捨てたい。



主旨返し?

木曽路が日本遺産に登録されたが、馬篭は除外されている。馬鹿げたことだ。山口村の人も非難している。しかし、山口村が木曽路の入り口なら身勝手な岐阜県編入と矛盾するだろう。長野市に編入されるのを嫌った小川村との対比が面白い。

編入されれば希薄になってやがて共同体も文化も心も失われていくだけだ。無理やり事例を探さなくても分かり切っている。一部の利権屋のご都合に踊った自分を恨むしかない。




(追)

印象としては山口村の人々の愚かさ(?)だけが残る。

木曽路の入り口だったのに、勝手に岐阜県に入る。木曽路を自分たちで分断したのではないか。

馬籠はもう信州の筈なのに、美濃の区に入れるの?。

山口村の身勝手でしょう。

岐阜県は観光収入の一部を食いちぎっただけ。その地域の全体を考えてなどいないのは明白。観光に直結しない部分(人も仕事もエリアも)は平気で切り捨てる。

昔は村役場に葉30人のスタッフがいたらしい。 今はほんの数人の間に合わせ。中津川市内の人口比で配分したら、山口村などスタッフを配分する猶予などないのだろう。昔の建物があるからかろうじて流用しているが維持するつもりはないだろう。

村民はやがて中津川の市街地に集められ、村域はますます希薄化する。残るのは観光ルートだけ。

このままではいけないと考える若者は既に山口村には一人もいない。取材してもそういう声は上がらないのだ。観光地の馬込は残っても山口村は消えてしまった。

行政サービスの拠点が近くて良いという声も出ていた。そういう価値観しか持っていないのだ。郷土愛とか培った文化とか全部脱ぎ捨ててしまった軽薄な若い世代。次の世代に行けば全く何も考えない人たちだけになるだろう。信濃の国を歌っていた老人たちの輪は(和?)はすっかり消えているだろう。



いつの日か。木曽路の入り口だけ何故岐阜県なの?と聞かれて、昔、平成の合併話に乗った愚かな村民の存在が 伝えられるかもしれない。

強欲な人たち。都市部の便利さが欲しければ自分が移ればいい。自分たちで工夫すればいい。それなのに、先祖から受け継いだ地域全体をその時の都合で切り貼りしたら、自分たちの文化も維持できない。

歴史の中でも、岐阜県史に残る保証もない。長野県史に残る保証もない。よそ者と裏切り者と愚か者。 嫌な言葉だね。

昔、昭和の時代?、村を二分する争いがあったらしい。平成になると、隣県に鞍替え。知恵も工夫もない村人たちだったのだ。



山口村だけではあるまい。番組はそう言っている。

しかし、県境を超えての合併話などよほど合理的理由がなければあり得ない。村を二分してまで県境を超えるのは別の力学の結果でしかない。ぶら下がったニンジンをうかつにも加えてしまったのだ。村の為政者の無能を恥じないで金ばかり欲しがった結果だろう。



日本遺産登録の話をきくと、山口村の人は軽蔑されているんだろうと思う。長野では裏切り者。岐阜では余所者。他の人からは愚か者に見える。

まさか、こんな馬鹿な結論はないだろう。

時代は常に動いている。新しい時代にはまた新しい答えを探せばよい。翻弄されないで自分で立って自分の目で見極めて進めばよい。 全く不自然な県境超えの編入など無効にして戻ればいいのだ。

結論:

山口村は長野県に再編入。 そういうエネルギーはもう残っていないかな。

愚か者にはもちろん、長野県民も入るだろう。