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「少年A」に更生機会は存在するか?
「少年A」に更生機会は存在するか?
思い出す度に腹立たしい。全く許せない。事件(被害者とその遺族)をネタにした一方的な出版までやって罪を重ねている。普通なら死刑だろうが少年だから許された?。更生の機会を与えられた?。
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NNNドキュメント
「少年A~神戸児童連続殺傷事件 被害者と加害者の20年~」
2017年6/26(月)日テレ放送
これを見ると元少年Aは成人になって世間へ出てからも自分勝手を続けているように見える。感謝も何もない。自分は依然被害妄想の中に身を置いてそれを免罪符に勝手なことをしているような。
問題は親なり世間なり兎に角誰かのせいにして自分の中には何の反省もない。
誰もなり手がいない身元引受人への義理さえも欠いたままとんずら。依然、身を隠しているらしい。恩知らずだな。
もっともネットでは追及を続ける連中がいるから常に監視されていることに違いはない。
この放送はまた新たな追及のネットワークを自然発生的に作り出しただろう。
無反省な家族だ。
だれにもそのリスクはある訳だが。
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更生とは何か。生まれ変わること。やり直すこと。今度は真面目にやれよ。上から目線。過去、記憶、記録は消えない。遺族も被害者も残っている。殺人事件で更生など本当はないのではないか。遺族の恨みが残っているのに、お上が勝手に更生の機会を与えるなんてありえない。無理だ。遺族が許して初めて更生という言葉が出てくる。社会は誰も許していない。
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本当に更生させるなら明確な責任ある更生プログラムが必要だ。少年Aは更生機会も無いのに社会に放り出されてしまった。金になると思った連中が近づいて出版の話をしたりする。テレビメディアも興味本位に近づいてくる。
中途半端な更生機会を与えるやり方は、少年A本人も、被害者も、遺族も、社会も不幸になっている。
国会議員が仕事をしていないからだ。出来損ないの少年法を放置したままだ。議論さえ始めていないのではないか。法案の説明もできない法務大臣(金田某)では法治国家も危うい。全ての議員の責任だ。
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