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よくわかる?なぜ途中で挫折するデザイナーが多いのか?


よくわかる?なぜ途中で挫折するデザイナーが多いのか?


  1. パロディです。そんな事実は未確認。挫折する人もいるだろうが多いか少ないか分からない。
  2. 理路整然と説明を始めたつもりが途中で宗旨替えする、テーマと結論不一致の人もいる。コンペなのに平気で修正する人もいる。パクってしまう人もいる。
  3. 挫折の理由は、根性がない、プライドがない、金がない、才能がない、人脈がない、経験がない、若さがない、論理的思考が苦手、などなど。できない理由なんかいくらでも出てくるものだ。
  4. ちょっと待って。挫折って何。妥協は挫折なの。クライアントの意向に沿うことが挫折なの。定義もいい加減だった。
  5. 可哀そうに。これからのデザインはネットで徹底的にチェックされるのだ。クライアントや一般大衆からいくつも似たものを突き付けられる。うっかり下手な説明をしたら、即座にネット上に疑惑デザインとして実名付きで流されてしまう。いい加減なコンセプト説明でごまかしても現物を目の前に出されたら抵抗できない。生きにくい時代になったものだ。



この投稿記事は長文で面白い内容だが、それに劣らずコメントのやり取りも面白い。中で紹介された記事も別の視点が加わって全体の議論を豊かにしている。

コメントの数はどれだけになったか分からないが先ず全体を読むのは困難。ヤフーの環境も想定外のコメント数になっているのだろう。

漸く、書き込みの数は収まったようで、誰かが新たに石でも投げない限りは、落ち着いたと思って良さそうだ。



(印象)
  1. 同じ投稿を読んでいる筈なのに、白と言ったり黒と言ったり所謂一般人はこんなものかと思わされる。コメントは自分が内包するものを吐露するだけの場合もあるようだ。
  • 深津さんの記事内容は基本的なところが曖昧にされている。
  1. 「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?ってそんな事実は何処にあるのか。データも何もないから個人的印象でもって命題を起しているのだろうと想像するが、それが混乱の元だ。
  2. 似てる・似てないの定義さえ検討されていないのも問題だ。定義に関連した部分的な検討はチャレンジしたかもしれないがその妥当性は検証されていない。
  3. 記事の中ではテクニカルのある要素を持ち出して似ている・似ていないを始めているが、その妥当性はすっ飛ばされている。あるいは、デザイナーの常識で済まそうとしている。明快な検証はされていない。
  4. その適当にピックアップした技術要素の差異をもって似ていないと断定しているが、ギャップが有り過ぎて誤魔化しというしかあるまい。《深津さんが意図したかどうかは分からないがこの誤魔化しを見抜けない人の多さに驚く》
  • 深津さんが示したのは特定の技術要素に変化を加えればデザイナー諸氏の中には別デザインと認定する人がいると言うことだ。少なくとも深津さんの周辺ではそのようだ。翻って考えれば、デザイナーを誤魔化すための手口が紹介されたようなものだ。《だから深津さんにデザイン依頼すると佐野と同様のリスクを抱えることになるので要注意とも言える》
  • しかし、リエージュ側のデザイナーは誤魔化されなかったし、日本のデザイナーの中にも誤魔化されなかった人がいる。多数派かどうかは分からないが。更には、一般人の中にも誤魔化されなかった人がいた。
  • 似ている似ていないが多数決ではないと考えるなら、少数の人が類似性の疑問に手を挙げるだけで問題提起としては十分だろう。適切に検証されるべきだ。
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  1. コミュニケーションの下りは臭い。問題に行き詰った人間は直ぐにコミュニケーションを原因としたがる。コミュニケーションと言っても一方的に言葉を口にすればいいものではない。相互理解が大事なことは誰でも知っている。相互理解を得るにはどうするか。人類が日々悩んでいることだ。
  2. 真実、合理性のあることを誠意をもって話す。相手の話を理解する努力をする。などを繰り返して漸く得られるものだ。深津さんには誠意はたっぷり感じて好ましいが、科学性とか合理性とかの理解については共有できない。
  3. 佐野研二郎に至っては、理解してもらおうと言う努力も不十分、疑問に答えようとする努力もない。パクリが表に出たら逃げ回っているのだから、殆ど人間失格状態。コミュニケーションなど成立しない。
  4. 今回は佐野と言う人間あるいは人間性の敗北なんだと言うことが結論ではないか。類似性を否定するならベルギーへ行ってでも説明すれば、相手は大人の対応をしたかもしれない、騙されてくれるかもしれない、妥協点を探ろうとしてくれたかもしれない。佐野と言う人間の傲慢性が、和解の可能性の一切を捨てたのだ。
  5. 実際にパクリの心証しかなければ、リエージュ側の被害者として立場は変わりません。逆に言えば、パクリだからこそ佐野は問題解決の道を探ることが出来なかったのだろう。


http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/

よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?

深津貴之 



  1. 類似性を発見できるのは問題の所有者です。無関係・無関心な人が2つを見ても何も見えない。リエージュだからこそ発見できた。スペインのポスターとの類似性も同じ。一般人が騒ぐ立てるほど似てるパクリは普通有り得ません。鳥貴族と鳥二郎ぐらいかな。だから、私は似ていないと思うなどとコメントしたところで、ああそうですか、と言うしかないでしょう。だから?なんてね。
  2. 今回の事件は、普通なら、リエージュ側にリスペクトを示し、丁寧な説明をすればすぐに収まった可能性が高い。少々似ていたとしても美術館にとって必ずしも不名誉なことではないからだ。佐野(お酔い組織委員会)の取った態度は、極めて愚かしくも、リエージュ側を無視し、挙句全然似ていないとやってしまった。態度が硬化するのは必至。
  3. 佐野は自分で問題にガソリンを掛けて火をつけたのだ。プロフェッショナルの対局だね。修正に安易に応じるのもプロらしくない。蓋を開ければパクリとトレースとインスパイアのオンパレード。組織委員会も佐野を切るタイミングを作って撤回にしたんだろう。

  • 今後の佐野さんはどうなるのか?
  1. 天国から地獄へ。本人に加えて、妻もオフィスのスタッフも、全員が総攻撃にあって、今は楽しくないだろうな。
  2. 今後はパクリのレッテルを貼られて仕事が難しいだろうが、問題は佐野さんの人間性の部分かも知れない。あるいは、プロフェッショナルとしての振る舞いの部分。クライアントのためには何としても問題を解決するんだと言う姿勢が示されなかったのはアマチュア以下だった。
  3. 小僧としては使えるが責任者としては使えない。そういう印象を強くした。