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『大阪都構想に反対する意見?読んでも分からないが基本的なところで間違えていないか?』


『大阪都構想に反対する意見?読んでも分からないが基本的なところで間違えていないか?』


  1. 文章が長くてポイントさえつかめないが印象としては嫌な感じだ。
  2. 御用学者かどうかは知らない。でも住民投票を前にしている現在では意図的なネガティブキャンペーンを張っているのかと疑ってしまう。
  3. 都構想は基本的には主権の拡大だ。東西のアンバランスを是正するものだ。東京の庇護で大阪はやっていくなら目先の損得勘定が先だろうが、関西のことは関西で考えてやろうとするなら正しい方向付けに違いない。
  4. 都構想を大阪自身が否定するならそれは46分の1の道を選んだ訳でとんだ笑いもの。末代の面汚しになるだろう。あの世で太閤さまに申し開きもできないだろう。
  5. 現状の利権構造が頭にある人は自分の目先だけで反対する。そういう人の声はあらかじめ集めておくがいいだろう。大阪府と大阪市の歪み構造も大阪をリモコン操縦したい東京の思惑でそうなっていると思えば、都構想反対者はその悪意に連なる人脈かも知れない。


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42509

2015年03月17日(火)

「都構想」で大阪はダメになる

文/藤井聡 京都大学大学院教授

「都構想」のメリットとデメリット、どちらが大きい?

本現代ビジネス誌上ではこれまで、大阪市特別顧問の高橋洋一教授から大阪都構想について当方の主張に対して意見を頂いて以来、互いに意見を誌面上で公表させていただいてきた。
大阪市長らの「都」構想に反対する藤井聡氏

「都構想」を巡っては、その中身の議論よりもむしろ「場外乱闘」的な側面が話題を集めがちな中、高橋教授から政策議論の機会を頂戴でき、大変に感謝しているところである。そもそも、住民投票前夜に必要なのは、野次馬的な興味をそそるバトルやショーではなく、冷静な議論、討論を措いて他にないからである(http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/03/03/fujii-128/)。

さて、前回の高橋氏の主張をごく簡単にまとめれば、次のようになる。

『「都構想」には、「二重行政の解消」や「既得権構造の破壊」というメリットがある。一方で、確かに、市を5つの特別区に分割する際に、コストがかかることも事実。メリットの方は長期的に生まれるが、デメリットは短期的に発生する。だから、長期的に考えれば、都構想の方が望ましい。』

現大阪市長は、今年の1月時点で「大阪都構想の設計図については、専門家からは批判はなくなりました」と公言しており、しかも、都構想に対して批判した専門家、学者、ジャーナリスト達が激しく非難される空気が濃厚に存在する中、「デメリット」が確かに存在するという当方の主張を改めて認めた専門家・高橋教授の上記の論点整理に、改めて敬意を表したい。

ただしもちろん、高橋氏の論点整理は、当方の見解と異なっている点がある。なぜなら、当方が指摘したデメリット(市の分割による行政コストの向上)は、短期的なものでなく、長期的なものだからだ。

例えば、高橋氏は、行政コストを上げる原因となる「一部事務組合」は早晩無くなっていくと指摘しているが、6000億円以上にも達するとすら言われている一部事務組合が当面の間無くなるとは考えられない。仮に無くなることがあるとしても、そのためには莫大な投資が必要となるのは明白だ。

なぜなら、特別区毎の当該区民のためだけの施設投資が進められないと、一部事務組合は解散できないからである(なお、高橋教授が言及した「シロアリ」については、より数値的根拠なども含めた具体的な議論が提示された折りに、あらためて検討させていただきたいと思う。現状においては、印象論以上の具体的な議論展開は困難なのではないかと考えられるからである)。

とはいえ、当方と高橋氏との間には「質的な相違」があるわけではない。あくまでも、メリットとデメリットのいずれが優越するかという「技術的」「量的」な論点において相違があるに過ぎない。したがってこの問題は、後は、数字と論理でギリギリと詰めていく他決着はない。

そうした厳密な議論がどこで行われてきたのかといえば、それはテレビでもネットでもなく、都構想のために正式に定められた協議会と、その提案を吟味する議会である。ついては、そんな協議会と議会における、メリットとデメリットを巡る議論をたどってみよう。



http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42509?page=2


「大阪都構想」をめぐる住民投票は5月27日(大阪維新の会の大阪都構想特設サイトより)

年々減少する推計「効果額」、徐々に明らかになる「コスト」

都構想が主張されはじめた当初、都構想が実現すれば二重行政が解消し、年間4000億円の財源が浮いてくる、それが最低ラインだと主張されていた。ところが、大阪府市が取り組んだ13年8月の制度設計案では976億円に激減。『「年4000億円」目標に遠く及ばず』と報道される(日本経済新聞、2013年8月9日)。ただし、その数字の中にも、「二重行政解消」とは無関係の項目(地下鉄の民営化や市独自で実施している市民サービス削減)が含まれている旨も、同じ記事の中で報道されていた。

なぜそんなに大きく減ったのか、しかも、都構想とは関係の薄い項目までなぜ入れた数字が公表されたのか───この点について次のように報道されている。

『「もっとしっかり効果額を積み上げてほしい」。府市関係者によると、橋下市長は先月、都構想の制度設計を担う大都市局の職員らに号令をかけた。橋下市長や松井一郎知事は就任当初、都構想で年間4000億円の財政効果を生み出すとの目標を打ち出したが、構想が具体化すればするほど、思ったような効果が見えてこない。一部の職員らは疑問を感じながらも、市民サービスを廃止・縮小した市政改革プラン(237億円)や、市営地下鉄の民営化(275億円)、ごみ収集の民営化(79億円)などを効果額に加えていったという。』(毎日新聞 2013年08月10日)

つまり、当初主張していた4000億円に近づけ、できるだけその効果が大きく見えるように、『財政効果かき集め』(同記事より引用)たと報道され、そしてその態度について『「まやかし」批判も』(同記事より引用)出たと報道されたという次第である。

そしてさらにその後、府市が算出する効果額も縮小されていく。府市の行政的試算では、当初の実に二十分の一以下にしか過ぎない17年累計で2634億円、つまり単純平均で言うなら、年間平均155億円にまで縮小する(毎日新聞、2014年10月17日)。

ただし、この155億円にも、市営地下鉄の民営化などの「都構想の実現とは関係の無い項目」も加えられており、それらを差し引くと年間約1億円にしか過ぎない、ということも、大阪市役所の試算結果として報告されている(日本経済新聞、2014年10月23日)。これに対して、橋下市長は、「効果額には多様な評価法がある」と発言をされたと報道されているが、「年間たった1億円の効果しか無い」という評価法も多様な方法の中の一つとしてあり得ることは正式には排除されてはいないようである。

この様に、4000億円と言われた効果額が、具体的な計算とそれに対する批判が繰り返される内に徐々に減少し、府市が主張する金額ですら25分の1の155億にまで縮小し、かつ、議会答弁を通してさらにそれが縮小し、最も低いケースでは実に4000分の一の1億円にまで縮小していったのである。

もうこれだけ「都構想による効果額」なるものが激しく変えられるのを目の当たりにすれば、今、「効果があるのかどうか?」という事そのものについても、その信憑性が大きく揺らいでくるのではないかと思われる。

さらに言うなら、年間1億円の財政効果という数字すら、「怪しい」のではないかとも指摘されている。そもそも、都構想に移行すれば、様々な追加コストがかかる。それについては、しばしば初期投資は680億円、ランニングコストの増分は年20億円程度と試算されているが、これらを考えれば黒字どころか「赤字」になるのではないか、とも指摘されている。実際、平成26年10月17日の府議会では、都構想とは必ずしも関係の無い項目を除外し、かつ特別区設置のためのコストの増分を考えれば、年間平均13億円の「赤字」が産み出されてしまう(17年累計で226億円)のではないかとも指摘されている(毎日新聞、2014年10月17日)。

なお、筆者が前回の原稿では、分割と一部事務組合の設置によって、トータルとしての仕事量が増加する事を指摘したが、今の協定書では、それによる人員増は想定されていない。むしろ、削減が想定されている。仕事が増えるのに人が減らされる──そうなればあらゆる行政が遅延したり、それを埋め合わせるために急遽人員を雇ったり等で、さらにコストが膨らんで行くことは明白だ。ところがこうした「コスト増」は必ずしも全て、上記20億円の中に含まれてはいない。

そう考えると、「年間13億円の赤字」よりもさらに大きな赤字が生ずる可能性も懸念される。

こうしたことを考えれば、高橋教授が「長期的にはメリットがデメリットを上回る」という主張は大いなる疑問を抱かざるを得ないのはないかと、筆者は考えている。
ただし、行政の効率化/非効率化を高橋氏と当方の議論は全て文書で残されているものであり、分かりづらい点は是非、繰り返しご覧頂く等を通してご確認願えればと思う。そして最終的には、読者各位のご判断にお任せしたいと思う。いずれにしても、当方と高橋氏との誌面討論が、「都構想」を巡る理性的な住民判断に資することを祈念したい。



http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42509?page=3

「二重行政」問題を越えた決定的デメリット:「大阪がダメになる」

以上、「行政の効率性の問題」について論じた。もちろん、これはとても大切な問題であることは間違いないが、筆者にとっては、それはどちらかといえば、「二次的」「副次的」な問題に過ぎないと感じている。

なぜなら、「都構想」にはもっと大きな本質的問題があるからである。

それは、「都構想」の実現によって、大阪が「大都市」を維持し、作り挙げるため「都市計画」の力をあらかた失い、早晩、大阪の街がさらに衰退し、本格的に「ダメ」になってしまう、という問題である。

しかし、この問題を理解するには、「都市計画」というものが一体何であり、そして、それが一体どの様に進められているのか、というおおよその理解頂くことが必要だ。そしてその上で、「都構想」が「都市計画」に如何なる、ネガティブインパクトをもたらすのかを理解頂くことが必要だ。

ついては以下、その理由を解説することとしよう。
大阪がダメになる(理由1)都市住民が「都市計画の権限」を奪われる

今、大阪市内では,ミナミやキタ、さらにはアベノやベイエリアなどの開発や都市計画が,一体的に進められている.ハルカスで有名な阿倍野区の再開発,JRの北側の広大な敷地を使った「ウメキタ」(大阪の中心地、梅田の北側のエリア)の開発などだ。

これらの開発には大量の民間資金が投入されているが、大阪市の豊富な財源がなければそれらはいずれも「無理」であった。

そしてそれに加えてもう一つ不可欠だったのが、大阪市という政令指定都市が持っている「都市計画=まちづくり」に関する強力な「権限」である。

つまり、現在の大阪の繁栄を支える大都市行政を支えたのは、「政令指定都市・大阪市の強力な財源と権限」だったのである。

ところが、都構想が実現すれば、この財源と権限は、大阪「市」から大阪「府」に移ることになる(例えば、都市再開発方針、キタやベイアリア等の都市再生特別地区、重要港湾以上の臨港地区、一般国道・府道、自動車専用道路、二級河川などの権限は「市」から「府」に移される)。

そうなれば、大阪市内の都市計画は大阪府が担うことになるわけだが、その大阪府の意思決定は「知事」と「府議会」によって下されることになる。そして、知事も府議会議員も、現大阪市の人達からも支持を受けているが、彼らを選んだ大阪府民の内、大阪市民は、たった3割しかいないのである。つまり府議会議員や知事は、7割にも及ぶ大阪市以外の大阪府民の人達からの支持を受けて当選する人達なのである。したがって、大阪市議会なら「GO」を出していたまちづくり案件でも、大阪府議会なら「NO」という判断が下される、というケースはどうしても増えてしまう。

これが、東京との決定的相違である。東京23区民は、都民の実に7割もの人口を受けているのであり、東京都議会や知事の判断において、23区民の意向は最優先される見込みが高いのである。

例えば大阪府は、自分自身の借金の返済に頭を悩ませ、大阪市以外の各地域の道路や下水道の整備率の低さに頭を悩ませている。そして、周辺地域は基本的な公共交通サービスや福祉サービス等についても、大阪市よりもより深刻な悩みを抱えているケースも多い。だから、大阪市が今考えているような、例えば「ベイエリアの開発」や「ウメキタの二期」等の開発は、大阪府全体の意思決定の中では、「贅沢すぎるおカネの使い方だ」と判断され、円滑に進まなくなる恐れがあるのである。

つまり大阪における都心住民の人口の低さが、都区制度における都心の都市計画の停滞をもたらすことになるのである。

そもそも民主国家における大都市は、日本のみならず世界中で、「都市住民」の自治によってつくられてきたのである。それにも関わらず、大阪でだけ都市住民である大阪市民から都市計画の権限を奪い取ってしまえば、大阪の街が衰退していくのも、必然的だとも言えるのである。



http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42509?page=4

大阪がダメになる(理由2)「都市計画の手続き」が煩雑化し、遅延する


さらに、大阪の都心部(市内)の開発にあたっての「行政手続き」は、都構想の実現によって確実に煩雑化する(つまり、ややこしくなる)こともまた、大阪凋落の重要な原因だ。

今ならば、政令指定都市である大阪市は自前の審議会を開いて、速いスピードで自前で決めていくことができる。その際、大阪市は多くの案件について、大阪府に一つ一つ「お伺い」を立てる必要はない。うめきた1期や、あべのハルカスなどの開発は、それにあたる。

ところが都構想が実現すれば、そうした都市計画の決定権限は基本的に全て「府」に移される。とはいえ、大阪府も特別区の意向を無視することはできない以上、大阪府は当該地区の「区長」や「区議会議員」と様々に調整することが必要になる。そして、場合によっては大阪府の主張と地元の特別区の主張とが、食い違うこととなる。

つまり、都構想が実現すれば、合意を形成するのに大変な労力と時間がかかるようになるのである。都市計画に関しては、「都構想」が実現すれば、これまでの大阪市だけの「一重」から、大阪「府」と「特別区」の間の「二重行政」が新たに産み出されてしまう。

さらに、複数の計画主体が関与する様な案件の場合は、さらに「ややこしい」話になる。

例えば、「御堂筋」は北区と中央区の2つの区にまたがる。もしもその2つの区の意見が違ったら、なかなか計画の内容を決めることができなくなってしまう。

つまり、今まで政令指定都市という、大変に大きな権限と財源の双方が保証されていた大阪市があったからこそ、大阪の都心のまちづくり、都市計画が、豊富な財源と簡便な手続きで、様々に進めることができたのである。ところが、都構想が実現し、大阪府と地元の特別区がまちづくりに関わるようになれば、関係者(=ステークホルダー)が増え、その合意の形成が煩雑になってしまい、様々なまちづくりが、「頓挫」してしまうリスクを抱えることになる。

こうして、都構想の実現によって、現大阪市の都心部に投下される財源が縮小していくと同時に、まちづくりの手続き、合意形成プロセスが複雑化し、大阪都心の開発、都市計画は、現在よりも停滞していくことが強く危惧されるという次第なのである。

なお、都構想が実現すれば、膨大な行政パワーが数カ年にわたって都への移行という「内向き」の作業に費やされることになる。これもまた、大阪のまちづくりを数カ年停滞させる原因となる。その間、東京ではオリンピックが、名古屋ではリニア開通に向けたまちづくりが着々と進められ、一人大阪だけが「おいてけ堀」となる──。
大阪がダメになる(理由3)大阪における「都市計画の技術力」の弱体化

以上の二点の他にも、都市計画の技術力やノウハウは、大阪市にはあっても府にはなかったという理由を挙げることができる。大阪府は主として郊外の開発を担ってきたからである。

一方で、都心の都市計画には、超絶に複雑な権利関係の調整が必要であり、それを行うには、特殊なノウハウ、技術力が必要だ。したがって、市が解体され、府が都市計画を行うようになっても、一朝一夕に府がそれを担うことができるとは考えがたい。

もうこの一点だけを考えても、大阪の都市計画が停滞することは決定的だと言うことができるだろう(もちろん、大阪市の都市計画部隊が、何の毀損もなしにそのまま大阪府に組み込まれることになるなら、技術力は保持されるかもしれないが、残念ながら、これまでの都構想の協定書作成の経緯等を考えるに、そうなる見通しは極めて低い。その点については、また別の機会に改めて論じたいと思う)。



http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42509?page=5

■「都構想」で大阪がダメになる

以上、いかがであろうか。都市住民が都市計画の権限を失い、資金が周辺地域に流出すると共に行政プロセスが煩雑化し、都市計画のノウハウが失われる事を通して、大阪は、「中心都市のまちづくり」が不可能となっていくに違い無い──その結果、国内外の他の都市が様々に発展していく中、大阪だけが取り残され、大阪の街は、今よりもさらに衰退し、単なる一地方都市に凋落し、決定的に「ダメ」なっていく──これが、筆者が協定書から読み取った、都構想を実現させてしまった後の「大阪の未来」なのである。

これは要するに、大阪の都心のまちづくりを、その都心の都市住民である大阪市民が担っているなら、その「自治の力」によって、大阪の中心である大阪市に集中投資が可能であったのが、「都構想」によって大阪市民の自治の力が弱まれば、都心部の豊富な税金が、大阪府全域に薄く広く使われていき、結局は、大阪の中心コアが衰退し、溶解してしまうことを意味しているのである。

もちろん、もしも大阪が東京の様に凄まじい一極集中都市であるなら、都心部のおカネを薄く広く大阪府全体に使っても、それでもおつりが来るほどの豊富な税収を得ることができる。そして、その豊富な税収を使って都心部に集中投資を行い、世界と互角以上に競争できる強力な都市を作り上げていくことができる。しかし残念ながら、大阪の現在の経済規模は、東京ほどに大きなものではないのである。実際、大阪市のGDP(経済規模)は、東京23区の25%以下なのである。

そんな大阪が、「さして裕福でもない自治体」であるにも関わらず(近年衰退してきたとは言え)様々な国内外の都市との間の「都市間競争」を戦い抜く力を、なぜ、未だに持っているのかといえば、貧しいながらもその「エンジン部分」である都心=大阪市に対して、どうにかこうにか集中的な都市投資を行ってきたからに他ならない。

そして、貧しいながらも、そんな「集中的な都市投資」を可能とさせてきたのが、「大阪市民による自治の力」であり、それを支えた「大阪市という政令指定都市」という行政の仕組みだったのである。

にも関わらず、そんな都市住民の自治によって都市計画を行うという仕組みを無くしてしまえば、東京や名古屋と対抗するために必要な、キタやアベノ、ベイエリアの投資が長期的に停滞し、大阪は都市間競争に勝ち抜くための「エンジン」を失い、大阪の地盤沈下は決定的となるのである。

もちろんそれは、都構想が実現して、1年や2年でそうなる、というものではない。

しかし、効果的な投資が滞る事の影響は、5年10年という時間をかけて、確実にその都市の活力を停滞させていく。そして都構想が実現して10年、15年とたてば、目に見えて、大阪の活力は低下していくことになろう。

つまり、もう二度と後戻りができない「都構想」を実現し、都心に大阪市民の自治が失われ、政令市という「保護シェルター」が無くなってしまえば、大阪の衰退に拍車がかかり、その地位は大いに凋落し、最終的に「ダメな都市」になっていってしまうことは決定付けられてしまうのである。

大阪の街は、今、大阪にいる人間のものだけではない。将来の子供達、孫達が暮らす街でもあるのだ。

子供達、孫達に、活力ある大阪を残していくためには、一体何が必要なのかを、是非、真剣に考えて欲しい。東京のように一極集中もしていない、都心人口が3割にしか過ぎない大阪で、「大阪市」という都心住民による自治組織を解体し、中心都市の都市計画の経験と熱意の乏しい周辺部も含めた「大阪府」にその権限と財源を譲り渡すような振る舞いは、大阪の街を衰弱させる「愚挙」にしかなり得ないのではないか──誠に残念ではあるが、筆者にはそうとしか思えないのである。