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ライフログの時代

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ライフログという言葉が一般的になってきた。スマホのアプリにも幾つかあるだろうか。

ライフは生活。だからライフログは生活の記録。日常生活をデジタルで刻んだもの。

ライフは生命。命の記録。健康データであったり、行動の記録であったり。

ライフは人生。生き様の記録。心の記録。

1年を振り返れべ、1年を見通すことができる。10年を振り返れば、10年を見通すことができる。100年を振り返れば100年を見通すことができる。ライフログは有用なツールだ。しかし、それがライフログの目的だろうか。

ライフログにどのような意味を与えるかは一人一人の問題だろう。

誰かが興味深いアイデアを提供してくれるかもしれない。ライフログ関連のアプリは次々と提供されるに違いない。やがて、ライフログを共有するAIロボット(=分身・ライフパートナーやるしかない。)がでてきて世の中はややこしくなるだろう。



今は、良くも悪くもライフレコーダー・アナライザー・アドバイザーが存在するわけではない。石器時代みたいなものだ。一つ一つ手作業でやるしかない。





石器時代の手作りライフログ:

(順不同)

生まれた時から、今までの、人生の要素を刻む。 

  • 命。体重。身長。・・・。病気。怪我。身体能力。・・・。
  • 人。家族。交流。争い。・・・。
  • 教育。学習。・・・。
  • 仕事。
  • 移動。旅行。
  • 趣味。 ゲーム。ギャンブル。スポーツ。
  • 金。財産。・・・。
  • ・・・。

きりがない。きりが無さそうできりhあ。問題意識。問題ととして認識できた範囲にとどまるからだ。一つの時間に存在できる自分の側面を洗い出すことは、なかなか難しい。最初から世界観を提示されていれば分かり易いが、そのことが難しいのだ。

勝手に側面の拾い出しを やってくれれば悩まなくてよい。

 ※

手作業なら単純なシーケンスログしか無理。

  1. 1レコードは時間刻み。0番目のフィールドは時間が入る。時間にも色を付ける。 
  2. 場所。空間認識。物理空間は分かり易いが、ネット空間と言うか仮想空間となると難しい。それでも空間認識は少なくとも1つのフィールドにしないといけないだろう。
  3. アクション。行為。働きかけ。マイナスのアクション(働きかけを受けたケース)も。
  4. ステータス。状態。
  5. 相手。相手を認識できているか。個人。何処かの組織の誰か。
  6. リザルト。アクションまたはステータスの結果。
  7. イベント。一連のアクションは塊で認識する。複数のイベントが並走するケースも。
  8. ・・・。


ライフログはまさにロギング中の理解と、振り返るときの理解とでは全く違ったものになる。不利かることもログ作業だが、振り返りの刻みで見え方が変わる。将来デジタル灯具御環境が出来たら、あまり気にしないで高次元のレベルで分析評価すればよいが、今は手作業だから、細かいロギングと振り返りは無理。

ハイアラーキ構造にせざるを得ない。

会社なら100年史とか50年史とかまで粒のサイズを大きくできる。個人ベースだと10年で刻むのが最大だろうか。人生100年時代。10回マックス。7か年計画とか5か年計画は昔計画経済ではやっていたが、個人のスパンではあるまい。

少し工夫をするなら、毎年レビューをやって、括りを年度(1か年)レビュー、2か年レビュー、3か年レビュー、5か年レビュー、10年レビューに、勝手に集計出来たら助かるね。株の変動レビューならできそうだ。

目的があって刻むもの。目的は考えないで取り敢えず刻んでおくもの。意味は後で出てくる。



どこまで細かく抑えていくかは次の検討にしよう。

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専業主婦の家計簿ならほぼ毎日。子育てで忙しい主婦、共働きの夫婦、効率重視なら週末の仕事になる。もっと時間が取れない人は月末一気。アプリを使えば出来なくもないがペースは作れない。家計簿なら週末+月末が常識的なところ。

健康管理は運動の側面ならワークスタイルが1週間刻みだから1週間単位で刻むことになる。アプリ自体はリアルタイムかな?。

勤務先や地域の検診は年1回。多くて2回。この場合は数年のスパンで見ていくことになりそうだ。



(注意)

ライフログは実績を活用して未来を切り開くもの。過去の集積は自分自身。それで終わっている(筈だ)。

郷愁に浸り過去を思い出して楽しむのでは却って今の自分を駄目にしてしまうだろう。過去などいくら振り返ったところで何も変わらない。変えられるとしたら未来だけど、それにしても思うほどには変わらない。自分の行動のいくばくかを変えることは出来る。

ログは執着の表現物。誰かに何かを託している。未来の自分かも知れない。未来の子供たちかも知れない。

ライフログは執着心。心配しなくても自分のログは此処其処に残っている。

半生の記:

小説家が、小説家でなくても、何かの志のある人は、志はいい加減でも、振り返りを考えた人は、所謂、私小説。半生の記をものするものだ。半生って自分の人生の半分ではない。今までの人生のすべて。90歳の人が余命10年もない時に自分の人生を記述しても「半生の記」になる。そういうものだ。過去は半分で未来は残りの半分。時間の長さではない。30歳の人が余命70年を目論んで半生の記を書いても翌日事故死だってある訳だ。過去は確実だが未来など分かりようがない。