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虐待が続く理由
虐待の話がテレビ番組でも取り上げられてる。
躾、指導、励まし、教育、訓練・・・。これらは上位者、管理者、強者の目線。
苛め、虐待、しごき、ハラスメント、暴力、・・・。弱者の目には全く違ったものが見える。
問題の摩り替え:
暴力を躾と言って済まそうとする輩の存在。それに狼狽える周囲の人たち。線引きが難しいと言って良い分けをする連中。
こういう連中には善良な管理者の原則を応用すれば済む。職員の家族、親、祖父母、配偶者、兄弟、子供、孫。彼らに同じような仕打ちをするのか聞いてみる。自問自答もできる。自分の家族でケーススタデイをやってみれば答えは出やすい。
自分の家族に降りかかった問題の時に、「人手不足」とか「連絡不足」を理由に放置されて許せるのかも聞いてみると、只の言い訳と理解できるだろう。 因みに、「人手不足」と「連絡不足」は二大言い訳として常識になっている。これを言い出したら、問題の分析も検討も失敗と思っていい。
メディアの虐待の取り上げ方は殆どがこれで済ましている。このことこそが問題の本質だろう。事件があって騒いで有耶無耶(人不足とコミュニケーションの不足だけ)で済ますのは、次の虐待を許している。
当事者の生ぬるい姿勢、メディアの追従姿勢が、虐待の温存を許している。
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目の前の問題を見ないことにして回避している職員。重罰の対象。それをやっていない。”なあなあ”の姿勢の司法検察。政治のご都合に迎合的な司法の堕落。崩壊した三権分立。メディアも怠け者を批判しない。プライバシーだなんだと言訳しているのかな。説明責任を徹底追及することをしないメディアの堕落。昔はジャーナリストと称する気負いのものが頑張ったかもしれないが今のメディアはスポンサー・視聴率・政府に手繰られているだけのものになっている。
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ペットの虐待も同じ。自分の家のペットが同じ状況にあって許せるか。答えは簡単だ。
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