道を尋ねられて道を説く?修行に限りなし!かな?
面白い記事が流れてきた。内容も背景もよく理解していないけど、道を尋ねることの何が悪いのか興味深かった。
道案内人が暇人ならあるいは仕事なら構わないが善意とかボランティアとかだとあるいはとても忙しくしている人なら道を聞かれても困るのは当然だろう。その場で自分で調べて教えてくれる人もいる。その人がお店などの人に聞いてまでして教えてくれる人もいる。そういう親切な人は感動ものだ。
自分で調べる探すの努力をしないで安易に他人に道を尋ねる人に怒っているようだ。世の中にはそういう人は多い。教えてもらっても覚えないで何度も同じことを聞いてくる人もいる。全く怒り心頭に発するの図だ。
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「
あのさぁ、もういい加減他人に道訊くの止めてくれませんか?」
※
人は誰に道を聞くだろうか?
あまり忙しくしていない人
道を知っていそうな人
道を教えてくれそうな人(親切そうな人・敷居の高くない人)
道の教え方が上手そうな人(知っていても教えるのが下手な人も多いのだ)
アイコンタクトが取れた人・取れそうな人
人は一瞬にしてこれらの状況を読み取って道を聞いてくる。一瞬でも隙を見せたら喉元に相手の言葉が突き刺さっている。真剣勝負なのだ。
記事の主の主張は最もなことで十分共感できるが、一方では勝負に弱いとも言える。まだ修行が足りないのだ。
もう一つ注意すべきは、道を教えることにストレスを感じるかどうか。
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学校の先生はいつも同じことを繰り返し教える。それが仕事。
ボランティアは無償で道案内をする。これも仕事かな。
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