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箱根駅伝連続出場記録を止めた中央大学!歴史に名を残す12人の選手?

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箱根駅伝連続出場記録を止めた中央大学!歴史に名を残す12人の選手?

  1. 本当の問題は大学側、マネージメントの問題だ。圧倒的なエースを一人か二人か作る必要が有ったがそれは天賦のもの。練習で伸ばすには限界がある。お金と足を使ってのスカウトは欠かせない大学経営サイドの仕事だ。
  2. 選手たちは今日から辛い日々を送ることになる。一生続くかもしれない。彼らもまた若くして墜ちたエリートなのだ。
  • しかし、
  1. エールを送ることもできる。彼らはまた偉大なチャレンジャーだったに違いない。怯むことなく先人の偉業に立ち向かったのだから。これからも怯むことなく素晴らしい人生を歩んでほしい。記録は情けない結果だったが、生き方・勇気は賞賛されていい。誇りをもって生きていってほしい。 
  • 頑張れ!12人の勇者!
  1. 町澤大雅
  2. 堀尾謙介
  3. 相馬一生
  4. 新城佑加
  5. 二井康介
  6. 舟津彰馬
  7. 小池竣也
  8. 江連崇裕
  9. 鈴木修平
  10. 渥美良明
  11. 竹内大地
  12. 蛭田雄大
  13. 中山顕(エントリーのみ)
  14. 安田一平(エントリーのみ)


http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20161015-OHT1T50089.html

【箱根駅伝予選会】中大11位、44秒差で本戦出場ならず…連続出場87回で途切れる

2016年10月15日11時19分  スポーツ報知



11位で惜しくも箱根駅伝本戦への切符を逃した中大。悲壮感の漂う選手たち(中央の町沢大雅は悔しさに顔をゆがめた)
 


 5キロ地点を通過する中大・町沢(右端)



    箱根駅伝予選会の成績発表 中大の連続出場が途切れた


 ◆第93回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会(15日、東京・立川・陸上自衛隊立川駐屯地~国営昭和記念公園=20キロ)

 第93回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝、来年1月2、3日)の予選会が15日、東京・立川市の陸上自衛隊立川駐屯地スタート、国営昭和記念公園ゴールの20キロで行われ、各校上位10人の合計タイムで中大は10時間17分01秒の11位に終わり、上位10校に与えられる本戦出場権を逃した。ぎりぎりの10位で通過した日大とは44秒差だった。87大会ぶり、戦争による中断があったため年数で言えば92年ぶりに、箱根駅伝に出場しない正月を迎えることになった。

 1925年、元号で言えば大正14年から脈々とつないできた伝統の赤いタスキが途切れた。優勝(14回)、連続優勝(6回)、出場回数(90回)はいずれも大会最多を誇る中大。もう一つの最多記録の連続出場(87回)がこの日、止まった。

 名門中の名門は、1996年を最後に優勝から遠ざかり、ここ数年ははさらに低迷。2013年に途中棄権し、29年ぶりにシード権を逃すと、それ以降、今年まで4年連続で予選会に回っていた。13年の予選会では12位に沈んだものの90回の記念大会で通常10位までに与えられる出場枠が13位まで増枠していたため、救われた。これまで伝統校の意地と底力でぎりぎりで連続出場を保ってきたが、今回、ついに、伝統校の神通力も及ばないほど弱体化し“歴史的敗戦”を喫した。

 近年の低迷を打開するため、今年4月に世界陸上マラソン日本代表3回のOB藤原正和氏(35)が監督に就任。現役を引退したばかりの青年指揮官は母校の切り札として再建を託された。3月の就任会見では「中大が中大である以上、連続出場は死守しなければならない」と強い覚悟を示していたが、チームの立て直しに難航した。

 昨年まで中大では3、4年生は原付きバイクの所有が認められていた。箱根駅伝の常連、あるいは箱根駅伝を目指す大学の陸上部として異例の“緩さ”だった。「私の学生時代にはなかったことだが、いつの間にか上級生はOKということになっていた。我々は体を動かすことが基本。原付きバイクに乗るより、歩いたり、自転車に乗ったりする方がいい。何より交通事故が怖い。学生に説明し、原付きバイクはやめてもらった」と藤原監督は話す。

 新指揮官はさらにチーム大改革に乗り出した。就任から約2か月半後の全日本大学駅伝関東予選会(6月18日)では17位と惨敗。前回の箱根駅伝出場を逃した国士舘大、専大、東農大にも遅れを取った。その後、主将を4年生の新垣魁都から1年生の舟津彰馬へ交代するという荒療治を行った。それでも、ここ数年でチームに染みついてしまった“緩さ”を完全に払拭することはできなかった。

 伝統の「白地に赤のC」。新春の箱根路で数々の栄冠に輝いたユニホームが秋の立川で屈辱にまみれた。選手、藤原監督、OBのショックは大きい。2017年1月2、3日。中大チームは箱根路から姿を消す。目指すは2018年の新春。長く、苦しい日々が始まる。