ホテルニュージャパン火災事故
火災のニュースは朝起こされてみた。打ち合わせが中止にならなければこのホテルに宿泊していたかもしれない。会社の訪問客の中には実際に宿泊して火災に難を受けていた。会社は見舞金を出していた。
打ち合わせが遅くなるとホテルに泊まりこむのが普通の時代だったから、1982年2月8日は命日だった可能性がある。
新商品リリースに向けた宣伝に関するミーティングは博報堂の担当も入ってスタッフ数人のレベル。命拾いをした面々だ。
廃墟になったホテルの残骸はその後もずっと会社の前に残されていた。夜になるの廊下をさまよう例の姿が見えるという話も何度か聞いた。