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凶悪犯少年の実名報道の是非?日弁連は時代性を理解しているか?



凶悪犯少年の実名報道の是非?日弁連は時代性を理解しているか?

  • 川崎市・大師中少年殺人事件
  • 日弁連(日本弁護士連合会Japan Federation of Bar Associations)
  • 少年法



http://www.asahi.com/articles/ASH355QNWH35ULOB020.html

少年の実名報道、日弁連「不可欠といえない」 中1殺害

2015年3月5日21時04分

 中学1年の上村遼太さん(13)が遺体で見つかった事件で、殺人容疑で逮捕された少年(18)の実名と顔写真を「週刊新潮」(新潮社)が掲載したことについて、日本弁護士連合会は5日、「少年法に反する事態であり、誠に遺憾。実名が報道に不可欠な要素とはいえない」などとする村越進会長の声明を発表した。

 少年法は、少年の犯罪に関しては本人が特定できる報道を禁じている。横浜弁護士会も同日、「少年の人格を否定して一方的に社会的責任を負わせることになりかねず、社会復帰と更生の可能性を決定的に阻害する行為だ」と抗議する小野毅会長の談話を発表した。



新潮社(週刊新潮)が川崎市・大師中少年殺人事件を一部実名報道したことについて日弁連が生命を出したらしいが、単に少年法とは何かを解説したわけではないだろうから、殊更メッセージを出した意図を明確慰する必要があるのではないか。

少なくとも日弁連が考える「報道に不可欠な要素」とは何か?について説明が必要。名前を出さないことで社会が被る損害についても考察が必要だろう。この事件から国民全体が多くを学ぶべきだがリアリティの無い情報では不十分でしょう。匿名のままでは幾つかの関連する事件も一つ一つがバラバラのもので済まされるが、実名が入ることで連関性も把握できる。本当の問題の所在を一人一人が考えることが出来る。

「社会復帰と更生」の可能性を言うなら、再び社会で悪をなす可能性も言ってくれ。犯罪者に仮面を着せて社会に放って次の被害者が出たら、どのように責任を取るのだ。危険を感じたら予め避けることが出来る。用心することが出来る。自衛の機会を与えるべきだろう。

こいつは真っ当な人間になりましたって誰が判断できるのだ?。誰にも分からない。時間が来たら自動的に外に出しているだろう。復讐心(殆どは逆恨み)に燃えた存在が世の中に出てくるのだ。

相手の命を奪ったのだ。時間を掛けたらその人が生き返るのではない。一生かけて償って当然だろう。一生、首から外してはいけない十字架。

命を奪われた被害者の心情も知るべきだ。その人は感謝なんかしていない。匿名化して社会に出てそ知らぬ顔で生きていくことを望んでいない。死人に口なしで被害者の気持ちを無視している。殺された上、無念まで踏みにじられている。

被害者(死者)の人権を考える弁護士はいないのか?。



殺人事件に時効がないように、殺人事件に少年法適用は不要と考えてしかるべし。



日弁連の声明は正しいことを言っているようだが、全く、上から目線で、人の心に訴えてくるものではない。考えようによっては無責任ではないだろうか。

事件のときの大人たちと同じだ。子供たちは必死で悪の主犯と戦っているときに、能天気に通り一遍の電話対応で済ましていて、一応責任は果たしましたとやっている。本当に意味のある正しいことを実行しようとしない。

日弁連がやるべきは、一番の被害者のために何をなすべきか、を真剣に考えて提言していくことでしょう。理不尽な少年法の改正も含めて。