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驚きの「松本山雅FC」J1昇格!来年の信州は熱くなる?


まさかこのチームがJ1昇格とは驚いた。恐れ入りました。未だに”マツモトサンガ”と読んでしまいますが正しくは”マツモトヤマガ”らしいです。次の期待サムライジャパンに参加できるような花形スター選手の養成ですね。



http://digital.asahi.com/articles/ASGB056TJGB0UOOB00X.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASGB056TJGB0UOOB00X

松本山雅、ルーツは喫茶店 半世紀を経て、J1の舞台へ

佐藤孝之、佐藤仁彦、松本英仁

2014年11月1日21時34分

写真・図版J1昇格を決め、サポーターと一緒に喜ぶ松本山雅の選手たち=上田潤撮影

 サッカーJ2の松本山雅(やまが)が1日、J1昇格を決めた。長野県松本市にあった喫茶店「山雅」の常連客が遊びでサッカーを始めてから半世紀。親会社のない市民クラブながら、J2屈指の人気チームに育った山雅は、サポーターの大声援を背にJ1の舞台に挑む。

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 この日、福岡での大一番に駆けつけたサポーターは約1200人。勝利で昇格が決まると、スタンドに大歓声がわき上がった。

 サポーター団体「ウルトラスマツモト」の疋田幸也代表(38)もその輪の中にいた。「小さいクラブだったのに、日本のトップレベルのチームに挑戦する権利を得た。本当に感慨深い」

 2003年の旗揚げ当初は北信越リーグ所属、サポーターが2人だけの試合もあった。ところが、人口24万人の松本市にあって今季のホームの観客数は平均1万2千人強。J2平均のほぼ2倍で、100万人都市の2位札幌の約1万500人を引き離す。10年にJFL、12年にJ2と順調に階段を上った。疋田さんは「人と人とのつながりで大きくなったクラブ。これからも山雅に関わる人を増やしていきたい」。

 「やまが」と読むチーム名の由来は1965年、松本駅前に開店した喫茶店「山雅」。登山とスキーを愛したマスター山下忠一さん(故人)の造語だ。店には山好きが集まった。

 高校時代に山岳部とサッカー部だった関精一さん(70)が「気晴らしにボールでも蹴って遊びたいな」と言うと、後日、山下さんが新品のサッカーボールを用意してくれた。大半が未経験者だったが、次第に経験者が集まり、県内の強豪チームに発展していった。店は78年、駅前の再開発で姿を消した。

 チームとサポーターに特別なインパクトを与えたのが、11年に加入した元日本代表のDF松田直樹選手だ。その年の8月に倒れ、34歳の若さで急死。J1で古巣の横浜F・マリノスと戦うことを目指していた思いと情熱は、チームに脈々と受け継がれている。

 今季、加入し、松田選手の背番号3を継いだDF田中隼磨(はゆま)選手は「J1で戦いたいというマツさんの思い」を背負ってピッチに立つ。マリノスの後輩でもあり、「背中を見て育った」。「サッカーは戦い。試合も練習も死ぬ気でやれ」。選手たちは松田選手から学んだ姿勢を貫きながら、J1に挑戦する。(佐藤孝之、佐藤仁彦、松本英仁)