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大川小学校の悲劇と韓国セウォル号の悲劇の類似点と相違点?

大川小学校の悲劇と韓国セウォル号の悲劇の類似点と相違点?

NHKスペシャルを見ていたら、急に腹立たしくなった。

大川小学校の児童が大勢亡くなった。津波に対する避難が不適切だったからだ。児童を校庭に集めて50分間も放置した。次に向かったのは海の方向。

小学校の裏には山があって山に逃げた児童らは助かった。

教職員も海に向かったものには犠牲者になり、山に逃げたものは助かった。(一人だけ?)

誰もが抱く疑問は空白の50分。

教職員はこの50分間の説明をしない。

説明すれば責任が降りかかるからしないのだという。

恐ろしい話だ。

当日の無能ぶりは児童を死に追いやった。これはこれで犯罪的だ。

月日が過ぎた今になっても、真相を隠し通している。今なお犯罪を続けている。それで税金で飯を食っているのだから、さらに犯罪的と言える。

謝罪もしなければ、懺悔もしない。子どもに対しても遺族に対して、罪を続けている。それを教育委員会は庇っている。

名前を明らかにして、一人ひとり真実の追及をすればよいことだ。

助かった子供の中には当時の記憶を伝える勇気ある子供いる。

教育委員会の責任者?は、「嘘とは言わないが記憶は変わるからその証言は採用しなかった」と答えていた。彼らがまとめた証言の記録に収集されていない理由の説明らしい。

記憶は変わる。忘れることも思い出すこともある。それを全部書いてこそ意味がある。取捨選択をしたのなら、根拠を提示しないといけない。出なければ、単に教育委稲木にとって不都合のない証言だけを並べたということだ。

この愚かな教育委員会の人(元と表示されていたから今は何処かに逃げ出したのだろう。無責任集合体か?)はうその判断をどのようにしたんだろう。それができるなら教職員の嘘を見抜いて記録にしてほしいものだ。



大川小学校の生き残り教員

そうなの?。本当に助かった教職員は彼一人なの?。教職員は50分協議して海に向かう行進を選んだわけなの?。集団合議では常識外の暴走はよくあることだが、経緯は誰だって知りたい。説明するのは生き残った人の責任ではないかな。作り話でない真実の話を。

唯一生存者となった教務主任は本来はヒーローの筈で亡くなった人たちの意志を継いで復興に頑張るものと勝手にイメージしてはいけない。彼はどう言う訳か逃げ回っている。自分だけ助かった罪悪感があるのだろうか。伝承する責任を負っていることを感じないのだろうか。

自分の主張は結果的に正しかったが、誰も助けることができなかった。彼だけが津波をイメージできて、他の教職員は津波の怖さをまるでイメージできなかったのだろう。だから小さな理屈のやり取りで50分を消耗しえしまった。何処に逃げるかでああでもないこうでもないを延々50分も続けたのだろうか。時間が大事な時に。避難が机上論。自分たちと子供らに迫っている津波が何か分からず。

教務主任は自分が助かることに必死だったろう。津波の怖さをイメージで来たら如何に逃げるかだ。最初はみんなで一緒に逃げる主張をしたかもしれないが、教頭以下が正しい判断が出来ないのなら自分だけ別行動で逃げる。そう決意したとしてもおかしくない。だから先頭に立って海の方向に向かうなどあり得なかった。

彼が子供らに山に上がれと言えば助かった子供は大勢いただろうが、他の教職員は別の決定をしていたから、子供らは別の決定(海に向かう行進?)に従うしかなかったのだろう。

亡くなった人を責めるのは問題だが、やはり判断力の稚拙な教職員集団のもたつきと誤った判断が原因。

教務主任が教頭らを殴り飛ばして、子供らにさっさと裏山に逃げろと言えば、本当のヒーローになっていたかもしれないが、それができなかったからと言って非難されることは無い。



大川小学校惨事の報告書は教育委員会の捏造か?。石巻市の教育委員会は問題をわざわざ作っている。愚かしい。

集団で合議して正しい結論を導く。石巻の教育関係者はこれが出来ない人が少なからず居るらしい。



セウォル号は子供を放置して自分たちだけが助かった。子供らから生存のための時間を奪ったということは同じだが、自分が逃げることしか頭になかったのだから極めて悪質だ。

大川小学校の教務主任が同じように自分の立場を忘れて自分の生存だけを考えていたのなら罪の意識は当然だが、彼の場合は一種の正当防衛。教頭らの主張に従っていたら命はなかった。子供を救えなかった罪悪感は残るだろうが、他人が批判できる状況ではなかっただろう