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松尾愛和さんの葬儀に思うこと


松尾愛和さんの葬儀に思うこと

昨日松尾愛和さんの葬儀が行なわれた。加害者の父親は出席したのだろうか。直接の加害者ではないとしても、責任放棄した格好になった加害者の父親は釈明会見などは行なわないのだろうか。

松尾愛和さんの葬儀

金属バットで殴られても隠蔽し続けた結果がこれだ。娘が反対する中でさっさと再婚した結果がこれだ。「強引にマイウェー!」の結果がこれだ。そのように見る人も少なくないだろう。



刑事罰は当然として、民事罰もあるでしょう。本人は責任能力がないといっても弁護士の父親には責任放棄で済まして通る訳ないでしょう。

仮に10億円としてそれが妥当かどうかは分からないが、其れくらいの損害賠償請求には応じて良いのでは無いか?。



<犯罪の動機について>

メディアは女子生徒の供述に振り回されている。意識していない嘘だとは気付かないみたいだ。嘘の定義も難しい。言葉になった内容と深層心理とのギャップが処理できないから。

小学生のときの動物虐待と結びつけるのは馬鹿げているかも知れない。田舎など自然が豊かな場所に居れば小動物への虐待の経験は必ずしも珍しくない。

突出した行動は単純なメッセージだ。

行動内容はあまり問題ではない。突出の程度が問題だ。感覚的には癇癪を起こしている状態。癇癪は手当たり次第。全く計算しない訳ではないが大中小ぐらいの刻みしかない。

メッセージを送る相手は両親。夫婦の一体化が強いときは両親という括りで良いが、今回は複雑だ。父親と母親に送るメッセージは共通なものではないからだ。

◇小学生の頃は父と母を区分できず只忙しいだけの親に対する不満。あるいは兄との扱いの違いに対する不満、あるいは単純なファーザーコンプレックスに対する表現だったかもしれない。

◇中学生になると父と母を明確に区分して意識する。敵と味方だったかもしれない。母親は父親への不満の緩衝材になっていただろう。母親の期待に応えることが自分の目標になっていたかもしれない。異母兄弟の死亡はいつ頃のはなしだろうか。誰が敵かを明確に理解した事件だっただろうか。

◇環境の急変は、再び彼女を不幸にした。これまでと比較にならないほどの苦境だ。兄が家を出て。母親が病気になり死亡。幼子の面倒を見るような状況もないのに父親は再婚を急ぐ。異物が家に入ってくる。忘れていた小学生時代の苦しみが顔を出す。多重人格なら猟奇的な自分が現れてくるということだ。継母が緩衝材の役割を果たすことは無理だろう。

◇追放され一人暮らし。母親の急死と再婚を急ぐ父親に対して多くの疑問を持っただろう。悪いのは父親、唆した(そそのかした)かも知れない若い女(継母)。母親が無くなって既に意味の無くなった一人暮らしを強いられた?。9月の入学だから今の学校は行っても行かなくても同じ。夏休みが終われば、9月になれば国外に追放される。母親のアシストも何も只の外国送りだ。後は、父親と継母が自宅で勝手をするだけの世界。兄、母親、自分の思い出の場所が蹂躙されたままになる。何かするなら今がデッドライン。

◇最後のエスカレーション。金属バットでもダメだった。既に家に入ることも出来ない。普通のことでは父親は問題を隠してしまうだろう。全体の流れ、父親の企みを砕くには今まで考えられないくらいの何かをしなければいけない。

◇誰でも良かった。事件になれば本当に誰でも良かった。恨みも何もない。恨みは自分勝手を続ける父親だけだ。猟奇殺人事件。完全犯罪が成功すればそれを十字架に海外へ行こう。



心理学的に推定すれば、父親との葛藤の表出が不健全行動の背景にあるのは間違いないと見る。母親の存在はやや曖昧ながら緩衝材の役割を果たしてきていただろう。

動機は<父親への復讐>だろう。あるいは<父親と綱がる世界への復讐>だったに違いない。

人体解剖の理由は、猟奇的になることで事件を重大化させ、父親の逃げ道を塞いだのだろう。

彼女は恐らく、自宅(父親の住む自宅)のドアの鍵も持っていなかっただろう。危険な存在だから当然だ。彼女は直接父親あるいは継母に復習したくても出来なかった。大きな事件を起こすことで父親が自分以上に大事にしている所謂世間体を台無しにしようとしたのだろう。

父親も新しい母親(継母)も彼女の面会になど行くわけがない。彼ら自身が、彼女に一生牢に繋がれることを望んでいるだろうから。彼女を包むように迎えることが出来るとは思えない。彼らにして見れば、彼女を海外に追い出すのと牢屋につなぐのとは結局同じことかも知れない。



写真週刊誌や、最近はパパラッチもやっているNHK辺りまでが、色々な事実を写真入で取材中だろう。再婚相手、再婚相手の実家、死亡した異母兄弟の母親、急死した母親の病の真相、女子高生のこれまでの事件の隠蔽に加担してきた学校関係者。



社会への示唆?

事件の女子高生の父親が本当に彼女のことを愛していなかったとは思わない。彼なりの方法で娘を愛してきただろうと思う。しかし、心のキャッチボールは上手く行かなかったのだろう。お互いが出すメッセージは上手く受け止められなかった。共有する時間が圧倒的に少なかったのではないか。家の中でそれぞれの部屋に入ってしまえばそれまで。自律していないのに自律を余儀なくされる環境だったかも。心の奥(原点?)が満たされていないのに、穴が開いたまま大人になっていく不安。叫べども誰にも聞こえない。親は親の価値観で愛情を注いでいるのに。しかし残念ながら愛情の形は物や金でない。時間の共有こそが最も大事な愛情の形なのだ。それこそが絆の根拠なのだ。

忙しい世相の昨今。児童教育も詰め込みばかりになるだろう。結果的に軽んずる傾向のある家族との時間・経験の共有について再考すべきだろう。

もしくは、馬鹿な男の物語としてゴミ箱に投げ捨てるか。






(追記)

事件から4年経過したが加害者の女性は何をしているのか。 そもそも刑は確定したのか。未成年犯罪で軽く済ましていないか。民事訴訟はどうなっているのか。